▼戦地の子供たち▼
写真誌「ライフ」が次回の5月号をもって廃刊を決定した、とのニュースが飛び込んできた。インターネット通信網の急激な拡大によって、文字も画像も瞬時のうちに各家庭に送られることが可能となったいま、写真誌は苦境に立たされることになったのだろう。「ライフ」は1936年に創刊され、1978年以降は月刊誌として公刊されてきた。その名の通り、人間の生活や生命に深く関わる時事ネタを独自の切り口で写真とともに紹介してきた雑誌が廃刊されることは残念でならないが、「ライフ」というブランド名は残され、今後は時折特別号が公刊される予定であるという。
その「ライフ」誌2000年4月号に、民族紛争下の子供たちに関する記事が載っていた。戦争の幼い犠牲者を取材したのは、スコットランドの写真家マーティン・K・ケネディ氏、35才。彼は通信社ロイターとコダックの援助を受け、過去3年間にわたって世界中の悲惨な地域を訪れては写真を撮り続けた。またその訪れた18カ国の子供たちを対象にワークショップを開催し、彼ら自身に自分の置かれた状況がどのようなものであるのかを、「ジャーナリスト」になったつもりで写真を撮らせ語ってもらった。この記事はその一部である。記事では7才から17才までの8人の子供たちが、各自友人や戦争の傷跡が残る場所をカメラにおさめ、コメントしている。下手な説明や解釈を抜きにして、そのいくつかをそのまま紹介したい。
「平和、平和。ぼくには祖国の平和を求める叫び声が聞える。戦争はたくさんの残虐行為を残した。ああ平和がやって来てほしい。ぼくは独りぼっちだ。お父さんもお母さんもいない。兄弟や姉妹とは道ではぐれてしまった。ぼくの1本の腕はない。ぼくはどこにいるのだろう。誰と一緒に生きているのだろう。ぼくの名前は平和だ。ああ平和がやって来てほしい」(Sorrie Kamara 10才、シエラ・レオネ)
「スーダンの戦争は、ぼくの人生をとても面倒なものにした。ぼくたちは畑を耕し維持していくすべをなくしてしまった」(Deng Deng 11才、スーダン)
「両親が二人とも死んでしまい、ぼくは孤児になった。両親は1994年の大量虐殺で死んだ。ぼくはおばあちゃんと暮らしていたけれど、おばあちゃんは年を取っていてお金も食べ物もなかったから、ぼくは家を出て食べ物を探しに行かなければならなかった。ぼくは、ギコンゴロ(Gikongoro)の道で会ったぼくより年長の子供たちと一緒に、空き家で立ったまま眠ったりした。時々彼らはぼくを追い払ったりした。また彼らはぼくに居てほしくないから、時々ぼくをひっぱたいたりした。彼らはぼくを殺そうともしたし、大きな棒で強く殴ってきたりもした。ぼくは別の少年と友達になって、救済団体のドアをノックしてお腹が空いていることとと病気にかかっていることを話したら、彼らは中へ入れてくれたんだ」(Amouza 7才、ルワンダ)
「わたしは人々に困難な状況で生活している学校の友人を見てもらって、世界中の子供たちにわたしたちの今の状況を知ってもらいたい。他の国の子供たちには、戦争のない世界を望むわ。彼らには、夏はとても暑くて、冬はとても寒い車の中で生活させないでほしい。いつも平和のために闘ってほしいの」(Khayola 13才、アゼルバイジャン)▼私たちにできること▼
民族紛争下における悲惨な子供たちに対して、私たちは何ができるだろうか。ボランティアに参加して、戦地で救済活動を行うことだろうか。時間が許すのならばそれもいい。国連や赤十字に対して寄付をすることだろうか。経済的に余裕があるのならばそれもいい。けれどひとつだけ認識しておかなければならないのは、世界中で起こっている民族紛争を根本から「解決する」ことに対して、私たち一人一人は無力に等しいということだ。悲しいことだが、これは紛れもない事実だ。
戦争のない日本に生きる私たちが少なくともしなければならないのは、戦地の子供たちをただ「かわいそう」と同情することではないだろう。それは彼らが現在直面している状況を正確に知ることではないだろうか。「ライフ」誌が廃刊されたら、今回の記事のようなハードな特集を組む写真誌はほとんどなくなるが、グリンピースや国境無き医師団のホームページにアクセスしてみるのもひとつの手かもしれない。毎年国連人口基金から公刊されている『世界人口白書』でも、戦争とは違うが人口増大による貧困の実態が伝えられている。