「人間を知るためにこそ必要な進化論的発想――ダーウィンの現代性」
   (『ホーム・エコノミカ』vol. 19, no. 5, pp. 36-7.)
挾本 佳代(法政大学講師)  
 


▼ダーウィンの残したもの▼

 遺伝子工学、バイオ研究、ゲノム情報。だいぶ耳慣れてきたが、20世紀末に格段の進歩を遂げたテクノロジーをどれだけご存じだろうか。
 これらのテクノロジーはすべて進化論を踏まえて初めて成り立つものである。例えば遺伝子の暗号全体を指すゲノムにしても、人間は30数億年前に発生した生物と、長大な進化過程を通して共有するゲノムをもっていることが進化論からわかっている。いうなれば「生物は巨大なスーパーファミリー」(立花隆『21世紀 知の挑戦』より)なのだ。

 『サイエンティフィック・アメリカン』7月号に「ダーウィンの現代思想における影響」という記事が載っていた。著者のエルンスト・マイヤー氏は進化論史を専門とする生物学者である。進化論というと、いまだに「弱肉強食」のイメージだけが考えられてしまうことが多い。この記事はそのような偏見を払拭し、進化論の始祖ダーウィンの現代性を明確にしたものである。
 マイヤー氏が提示したダーウィンの現代思想における影響は6点ある。

 1)「ダーウィニズムはあらゆる超自然的な現象や因果関係を認めない」。生物の造形における「すばらしいデザイン」も、神が創造したのではなく自然が行ったものである。そのことが「自然選択(自然淘汰)」によって説明される。

 2)「ダーウィニズムは類型学に異議を唱える」。例えば類型学に従えば、カフカス人(Caucasians)とアフリカ人とアジア人とイヌイット族は本質的に共通するものがあり、他のエスニックグループと顕著に異なるとされる。しかし、この類型学の考え方を突き詰めていくと、やがてレイシズム(人種主義)に到達してしまうことになる。ダーウィニズムにおいては、すべての人間集団は生物有機体の集まりなのであり、それぞれは異なる個性をもつ個体であると考えられている。

 3)「ダーウィンの自然選択理論は、目的論の呪文を無用なものにした」。目的論の端的な例としてはこのようなものがある。「キリンの首はなぜ長くなったのか」「なぜなら高い枝にある葉を食べるためにそうなった」。「〜するために」生物が進化したと考えているのは人間である。しかしダーウィニズムは、人間ではなく自然が行うことを考えるものである。

 4)「ダーウィニズムは決定論を棄却する」。決定論とは、自然現象を一意的に決定づける考え方である。しかし進化過程において、その現象は決して一方向に、一意的に決定されない。途中に突然変異や絶滅も内包されているからである。

 5)「ダーウィンは人間に関する新たな観点を発展させ、新しい人間中心主義を提示した」。ダーウィンは、人間も一生物有機体なのであるということと、逆に人間だけが文法と構文法を備えた言語をもつ唯一の動物であることを知らしめた。

 6)「ダーウィンは倫理に関する科学的基礎を提示した」。ダーウィンの論理は最終的に「利他主義」を提示していた。例えば社会的生物と呼ばれる蜜蜂や蟻の「利他的な」行動を想起すればいい。ある社会集団が生き残って繁栄していくためには、いかにその集団内部の個体が協調的な行動をするかにかかっている。この協調的な行動を促進することによって、集団内部の個体は生き残り、間接的に利益を得る。これが「倫理」の原初的形態だという。
 
▼進化論の必要性▼

 マイヤー氏の主張を集約すると、ダーウィンの進化論は人間が目的をもって作為的に行い得るものではないということが浮上してくる。ダーウィンの進化論を忠実に継承している古生物学者に、ハーバード大教授のスティーブン・J・グールド氏もこう言っている。「進化論から知ることができるのは、人間はどんな状況にも対応できる柔軟性に富んだ生物種だということだけです」(朝日新聞7月31日朝刊)。

 私たちはつい、アメーバーなどの原生生物が「下等動物」であり、人間が一番「高等動物」であると考えがちである。人間は「高等動物」になるために進歩してきたと、進化論を都合良く援用してきた。しかし、どの生物も同じように自然にもとづく進化過程を経てきたし、いまも経ているのである。つまり30数億年とも言われる生物の歴史は、人間だけの歴史ではなく、長い時間をかけて多様な生物を生み出してきた「生命」全体の歴史なのである。その歴史を紐解くために必要なのが進化論なのだ。進化論抜きにして、現在私たちがなぜここに生きているのかを語ることはできない。