「社会システム論と自然―スペンサー社会学の現代性―」要旨

法政大学大学院博士後期課程  挾本 佳代  



   社会システムの概念はスペンサーによって、社会学の誕生と共に斯学にもたらされたものである。彼が進化論を基礎とした社会システム論--社会有機体説を提唱していた事実を踏まえるならば、社会システム論は進化論という理論的基礎があって初めて理論展開されえたことになる。社会システム論とは、人間という動物の群生形態=社会の存立状況の理論化を通し、私たちがいかなる基盤の上に生きているのか、また私たちがいかなる存在であるのかを如実に呈示する重要な社会学理論である。本書ではこうした社会システム論の本質に深く言及するために、1個の素朴な問題の設定を行った。すなわち「社会システム論は<自然>を理論化してきたか」、換言すれば「社会システム論は進化論的発想に立って理論展開されてきたか」である。

   この問題設定を行った理論的理由は2つある。第1に、<自然>は人間という生物学的存在にとって必要不可欠であると同時に、人間が決して免れることのできない、人間を取り囲む環境・対象だからである。第2に、<自然>と人間を正しく知る上で進化論という生物学的観点が不可欠であり、その進化論がホモ・サピエンスの集合体である社会に適用されるのは当然のはずだからである。後者の命題が重要な理由はほかでもない。そもそも<自然>は数多くの生物種の有機的世界を包摂したものであり、人間はそこに属する1生物種であるからである。そうであるならば、社会システム論は進化論的発想に立って理論展開されなければ、1生物種である人間も人間社会も正しく把握し理論化することはできない、という理論的予測が立つ。本書は以上2つの理由から先の問題設定を行い、社会システム論が本来的に要求されていた本質を<自然>を鍵概念として解明するものである。

   本書は3部から構成されている。上記問題設定に論及した本書を解説するには、第3部で展開した社会学説史上最初に「開放システム」を提示した「初の一般システム論者」(ジョナサン・ターナー)であるハーバート・スペンサーの社会システム論、および彼の全体系を網羅する社会学から始める方がわかりやすい。社会システム論は、タルコット・パーソンズによって理論化されて以来この術語のもとに理論展開されてきたと一般に解されているが、パーソンズに遡ること100年、すでにスペンサーが社会システム論を提唱していた。スペンサー社会学は、パーソンズが『社会的行為の構造』冒頭において「スペンサーは死んだ」と言明していることからも明らかなように、従来社会学理論として正しく評価がなされてはこなかった。スペンサーは功利主義者、社会進化論者、社会ダーウィニスト、などの誤解に満ちたステレオタイプのもとに理解されてきた。しかし、彼の論理の核心部分にこうした偏見や迷信を裏付ける論拠は、一切見あたらない。従来社会学理論上曲解されてきたスペンサーの主張した進化論の核心部分は、今日まで十分通用する、いやまさに現代において各分野で最もその重要性が痛感されている理論的視座である。スペンサー社会学は、今日再検討されるべき現代性を内包している。本書の問題設定に深く踏み込むためにも、進化論を基盤とした<自然>を包摂する社会システム論を構築していた社会学者スペンサーの理論を精査することが不可欠である。

   スペンサーの体系において、社会学は社会有機体説が論じられた『社会学原理』の中だけで構想されていたのでは決してない。本書では、その体系を考察する上で欠かすことのできない初期の『社会静学』をはじめ、「総合哲学体系」全体を構成する『第一原理』『生物学原理』『社会学原理』『倫理学原理』、晩年の『人間対国家』を基軸とした、著作・論文全体から浮上してくるスペンサー社会学の核心部分に論及した。
   『社会静学』では功利主義批判を通し、人間が種として生き長らえることができ、民族・部族単位で独自の慣習を継承していく社会が主張されている。スペンサーは従来の所有権を否定し、「公平な自由」において「地球を使用する権利」を提唱した。彼は土地に象徴される<自然>を人間存在の必要条件と考えていた。
   『第一原理』には、スペンサーの進化論に基づく科学観が集約されている。スペンサーは、進化論が人間の知識の限界を自覚することなくして理解することができないものであると明示し、従来理性的な人間によって全て理解可能であると信奉されていた宇宙像を転換することにより、「不可知」領域の存在を人間に知らしめた。また、<自然>と密接不可分の生命現象も、人間知識の相関性から追求されている。
   『生物学原理』『社会学原理』では、<自然>を把握する上で不可欠な進化概念、自然概念、生命概念、時間概念を踏まえた生物観(生命観)・社会観が展開されている。スペンサーは個々の生物有機体である人間から成る社会が、生物有機体同様「有機的世界を通じた緻密な統合」すなわち<生命システム>を形成していると主張した。彼は、生物有機体と社会有機体との間に類似性ではなく同質性を見出していた。特にスペンサーが『生物学原理』で詳細に展開していた進化論は、今日の分子生物学の知見における中立説の核心部分に期せずして一致していることが判明する。
   『倫理学原理』では人間個性を抑圧しない社会における、人間の「ふるまい」「道徳」「倫理」「自由」「幸福」に言及されている。スペンサーが想定していたのは人為的に構築された社会システムではなく、<自然>が作る社会システムであった。そのために<自然>を欠いては論及し尽くすことのできない<生命>概念を介在させつつ、上記「ふるまい」概念等が主張された。
   『人間対国家』では後期ビクトリア時代における人間個性と国家権力の対立様相が鋭く論及されている。スペンサーにとって当時の諸改革は、人間個性を疲弊させる以外の何物でもなかった。彼は「人間の幸福とは何か」「政治体制における正義とは何か」という2つの観点から、いわゆる「改革の時代」の政府の機能と施策を批判した。この著作において、スペンサー社会学の一貫性は誤解の余地なく表現された。

   スペンサーの提唱した社会システム論において、万物はすべて宇宙の法則に従って変化し、<自然>によって選択され、その存在如何が決定される。彼は<自然>を正しくその理論的射程に入れ、まさに社会システム論を進化論的見地に立脚して理論展開した。スペンサーの主張した進化論は、啓蒙主義、功利主義、理性主義といった近代社会の構成原理そのものを覆す論理を提示する、新たな科学観でもあった。彼はこの革新が人間社会にこそ及ぼされなければならないことを、社会学者として明確にしたのである。本書の問題設定は、スペンサーの社会システム論を正確に理解するために必須であったことが、判明する。

   スペンサー以降およそ100年後、パーソンズが再度積極的に社会システムという用語を用いて社会学を理論化しようと試みた。本書では、パーソンズおよびその批判的継承者ニクラス・ルーマンの展開した社会システム論を第2部において検討した。
   パーソンズが初期の『社会体系論』から晩年の「人間の条件パラダイム」まで、「AGIL図式」「LIGA図式」を用いて理論化したのは、1個の社会システムが諸機能の組み合わせによって成立するということであった。4サブシステムは固有の機能をもち、相互作用をすることによって社会システム全体を成立させている。パーソンズ以降の社会システム論は、こうした理論的視座から社会システム全体を観察し、社会システムを1個の精巧な機械あるいは生体システムであるかのように見倣してきた。その1典型が、ルーマンの提唱した「オートポイエシス」概念に依拠する社会システム論である。ルーマンは、局所的な生体システム(=個体)の特性である「オートポイエシス」を、人為的に構築された社会システム全体に適用し、生物学的事実に反する理論化を社会システム論において行っている。
   パーソンズ以降の社会システム論では、社会システムと生体システムを同定するという重大な理論的瑕疵が放置されたまま理論展開されている。この理論的瑕疵こそ、社会システム論に<自然>を正しく理論化することを阻む最大の要因となっている。さらに、パーソンズおよびルーマンの社会システム論には、スペンサーが社会システム論の根底においていた、進化論的発想に立つか否かの決定項ともなる生命と時間の両概念も欠落していた。そのため、パーソンズ以降の社会システム論は進化論的発想に立脚して理論展開することができなかった。本書の冒頭の問題設定に関して、パーソンズ以降の社会システム論は、否であることが第2部の議論から結論される。

   本書全体の議論を通し明確化したことは、<自然>を介することによりはじめて社会システム論の問題性が浮上することである。現代の社会システム論においては、人間が<自然>と乖離した人為的なシステムを基盤にして生きていることが、あたかも自明として黙認されている。もちろん人間は、<自然>なくして生きることができる存在ではない。この事実を率直に受け止めるならば、私たちは社会システム論に対する思考方法の転換を要求されている。今こそ、<自然>を正しく理論化し得たスペンサー社会システム論に切実に学ぶ必要がある。