序19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、西欧近代思想は進化論からどれほどの衝撃を受けたのであろうか。C.ダーウィンの『種の起源』を事実上の端緒として、生物学では生命の起源に関する問題が飛躍的に進歩することになった。医学では遺伝と変異に関する知識の基盤が固められることになった。社会学では、ダーウィンと同世代のH.スペンサーによって、社会に関する研究を自然と生命の研究の中に正確に位置づけし直す必要があると主張されるようになった(cf. 挾本 2000)。進化論という思想上のうねりは、西欧近代思想が無視することができるほど矮小なものではなかったのである。この意味において経済学も決して例外ではなかった。経済学に対する進化論の切実な影響は、19世紀後半から活躍し、後世制度学派の創設者であるとされるT.ヴェブレンの論考からうかがい知ることができる。本稿の目的は、ヴェブレンの論理の核心部分をなす進化論を再検討し、彼がいかに進化論から衝撃を受け、その衝撃をどのように論理に反映させていたのかを明確にすることにある。第1章 「進化」の意味ヴェブレンの論理の考察の前に、彼よりも半世紀前に進化論の震源地であるイギリスにおいて、人間と社会に関する論理に進化論を真っ先に取り込んだスペンサーの論理を簡潔に掌握し、今日私たちが着目しなければならない「進化」の正確な意味を理解しておくことにしたい。ここで注意をしなければならないのは、スペンサーの登場以前には進化論の気配すらなかったということである。しかし結果において、進化論は西欧近代思想の確実な起爆剤となり、150年後の時代にまでも甚大な影響を及ぼし続けることになった。スペンサーもダーウィンも進化論がこれほどの響力をもつものであるとは思ってもいなかったであろう。スペンサーにとって進化論は、西欧近代社会がこれまで蓄積してきた既存の社会に関する知識・研究をすべて根底から覆し、構築し直す必要があると強く直観させるものであった。すなわち、生物全般に関わる進化論と密接な関係をもつ「自然」、「生命」、「社会(人間)」三者の新たな関係を近代人に対して突きつけたのが進化論であるとスペンサーは考えていた。スペンサー以前においては、たとえば17世紀半ばのR.デカルトの論理に象徴されるように、人々は人間が法則や認識を介在させることによって宇宙(自然)を限りなく解明することができると信じて疑わなかった。デカルトは動物を「自動機械」と見なし、諸部分を組み立てていきさえすれば「生命」をもった全体として作用すると確信してさえいた(cf. Descartes 1997,125, 1996,102-4)。すなわち、人間はその理性によって「自然」「生命」を理解しつくし、それらを作り上げることさえ可能であると過信していたのである。しかし、そうした西欧近代社会の構成原理を支える理性主義は、進化論を前にすると呆気なく崩れ去るとスペンサーは誰よりも早く正確に見抜いていた。特に彼が『第一原理』において、「自然」や「生命」現象に言及して人間知識に「不可知」領域が存在すると主張していたのもそのためであった。「つねに知ることを求めては、つねに知ることができないという深い確信をもつ状態に引き戻されることによって、私たちは次のような認識を持ち続けることになるだろう。すなわち、私たちの最高の知恵と最高の義務はともに、あらゆるものが不可知なもの(the unknowable)として存在しているということを通して認識される、と」(Spencer 1966b,84)。スペンサーにおいて進化論とは、人間に未来を予測可能にはするが、人間が未来を決定づける理論ではなかったのである。彼の提示していた進化観は、人間および社会が「自然」に包摂される存在であり、それらはすべて「自然」のもつ法則性に従っているという主張に支えられている。人間も例にもれず生物はすべて「自然」の前では無力であり、そこにおいて理性はほんのわずかな役にしか立たない。つまり、スペンサーの進化観は啓蒙思想以来の目的論的進化観とも一線を画していた(cf. Spencer 1966a,8-9)。すなわちスペンサーのいう「進化」とは「発展法則」「発展図式」の意味合いはまったく存在していなかっただけではなく、その過程においては「絶滅」「崩壊」すらあり得る厳しいものであった。それゆえ、著名な「軍事型社会から産業型社会へ」というフレーズが意味していたものも、社会が自然の法則に従って「変化する」ということであり、そこに「産業型社会」への移行を希求する人間の希望的観測は皆無であった。「軍事型社会」「産業型社会」も「変化する」社会の一類型にすぎなかったのである(cf. 挾本 2000,187-90)このような進化論をスペンサーが主張することのできた背景には、彼が生物学を基底にして、生物を個体の生存様態である〈個相〉ではなく、群体としての生存様態である〈群相〉に着目することによって社会を捉えようとしていたということがある(cf. 挾本 2000,180-224)。進化論を基盤にして社会有機体説を提唱していたスペンサーにとって、人間の集合体である社会は個々の人間の生存様態に収斂させて捉えることはできなかった。なぜならば、今日の生物学的知見の発達によってさらに明確にされている通り、進化論とは生物の〈群相〉の変化をこそ理論化するものだからである。それは個々の生物の形態の変化だけを示すものでは決してなかったのである。以上考察してきたスペンサーの進化論から導出される「進化」の意味を列挙するならば、以下の3点になる。1)進化は人間によって決定づけられない。2)進化とは「変化」を意味するのであり、そこに「発展法則」「発展図式」の意味合いはない。3)進化とは生物(人間)の〈群相〉の変化の過程を示したものである(1)。この3点は中立説という現代生物学における最新の進化論においてもすべて継承・発展させられているものである。これまでの議論を踏まえて、ヴェブレンがいかに進化論から衝撃を受けていたのかを考察していくことにしよう。第2章 ヴェブレンにおける進化論と経済学の矛盾ヴェブレンにおける進化論に関する先行研究は、彼が提示した「進化論的経済学」という発想を前提にし、それが「適者生存」「生存闘争」原理に引きつけて言われるところのダーウィニズムの影響をどれほど受けているか、という観点から詳細に考察されることが多い(2)。そのために「自然選択」を提唱したダーウィンの進化論本来のもつ意味を掘り下げた上でヴェブレンの進化観が単独で緻密に考察されることは非常に少ないのだが、そのような研究傾向の中でI.マーフリーの論文「ソースタイン・ヴェブレンの経済学におけるダーウィニズム」は、ヴェブレンの進化観に関する有益な論点を提示してくれている。「彼〔ヴェブレン〕はダーウィンの方法論を、単なる原因と結果にすぎない人為を越えた因果連鎖であると捉え、〔人間の〕宇宙の目的の追求と神の摂理の下にあった『自然の秩序』に対する信念を不要にするものであると考えていた」(Murphree 1993,118)。また、マーフリーは次のようにも考察している。ヴェブレンはダーウィンの進化論から宇宙が目的論に拠らないこと、社会進化と「進歩」思想を切り離すことを読みとっていた、と(Murphree 1993,119)。以上のマーフリーの考察を要約するならば、人間の合理性が「自然」のそれを超越することは決してないということを人間に知らしめてくれるのが、ダーウィンの進化論であったとヴェブレンは理解していたことになる。ヴェブレンの進化論に対する考え方は、ごく初期に書かれた著名な論文「なぜ経済学は進化論的科学ではないのか」に明確に打ち出されている。この論文の冒頭で彼は同時代の人類学者の論考に依拠し、経済学が近代科学に見合うための修復の必要の前に立たされていることに言及している(Veblen 1994a,56)。ここで取り上げられているM. G. デラプージュの経済学批判の核心部分はこうである。経済学は「社会発展」を一局面もしくはせいぜい二次的な局面からしか捉えることはできない上に、「物質的な福利の増大」に関する相関的な術策を追求することだけに限定されており、「国家の衰退」や「民族の価値の低下」という対象は除外されている(de Lapouge 1897,54)。しかし彼は「人類社会学(anthropo-sociology)」がこのような経済学の欠陥を踏襲することなく、社会発展の考察を行うことができると主張した。なぜならば、人類社会学には進化論的発想にもとづいて社会変化の過程を理論構築する余地があったからである。つまりデラプージュは、局地的な均衡点を求める経済学理論では「社会発展」「文明の歴史的な発展」「国家の衰退」「民族の価値の低下」といった動態の分析はできないと考察していた(3)。デラプージュの突きつけた経済学理論に対する切実な問題をヴェブレンは真摯に受け止めていた。彼は同時代の経済学を基礎づけたマーシャルの理論、さらにそれを理論的に支えている古典派経済学、古典派経済学を批判し独自の理論を形成した歴史学派のいずれも、近代科学としての経済学には決してなり得ないと判断していたからである(Veblen 1994a,56-7)。ヴェブレンに既存の経済学理論を覆さなければならないとまで断言させたのは、デラプージュの論考を引用していることからも明らかな通り、近代社会を席巻した進化論以外の何ものでもない。彼は進化論に触発され、以下の2つの観点から経済学を痛烈に批判した。第1の観点は、既存の経済学理論は人為的な法則性によって確立されているということである。ヴェブレンは特に古典派のA.スミスのいう「神の見えざる手」という市場の目的論的秩序を維持するための理論的装置を批判した(Veblen 1994a,65-6, cf. 75)。ヴェブレンにとってスミスの論理に代表される古典派経済学は科学的な理論を擁してはいなかった。というのも、「神の見えざる手」に導かれ「理想的な」経済行為が行われるとした究極的な原理は、古典派経済学者には「正常な法則もしくは自然な法則(laws of the normal or the natural)」として受け入れられてきたが、それはあくまでも市場における「調整原理(the "controlling principles")」に過ぎず、人為的な経済現象の「傾向」を理解させるためのものであったからである(Veblen 1994a,65)。つまり、市場の局所的な合理性にしか通用しない古典派の理論の特質をヴェブレンは信じてはいなかったのである。それゆえ「因果連関」を追求することに終始する経済学の手法を彼は全面的に否定したのであった(cf. Veblen 1994a,61,78)。また「因果連関」から導出される「〔物質的世界の〕機械論的な構造」と「人間の物質的目的」にしても、それらを追求し提示するのは「分類学」の目的なのであって、経済生活の変化過程を追求していく経済学理論の目的とはならない(Veblen 1994a,71)。そもそも進化論とは全体に対して部分的な「メカニカルな法則性」が通用し、それによって成立するものではないからである。このヴェブレンの論理は、第1章で考察したスペンサーが人間には必然的に「不可知領域」が存在すると主張した理由の核心部分と相通ずる。第2の観点は、既存の経済学理論では、社会内部の人間が有機的に密接な関係をもっているということを十分に示し得ないということである(cf. Veblen 1994a,77)。この観点は先の第1の観点と深く関連をしている。ヴェブレンは「人間は常にどこにおいても何かしようとしているという意味において、経済行為は目的論的である」(Veblen 1994a,75)と述べながらも、彼の真意はその前提とは正反対の主張にあった。「経済的利害は孤立して作用しない。というのも、それは個人の活動が活発化することによって複雑化していく目的論的な活動から生じる〔社会における〕利害関係の、ほんの一部でしかないからである」(Veblen 1994a,77)。すなわちヴェブレンは、経済現象を市場における「個人」の経済活動や経済的利害に還元させている既存の経済学理論に対して批判を加え、社会における「経済的利害」は個人のそれに還元させることができないと主張していた。というのも、ヴェブレンは、個々人の「経済的利害」が「有機体的傾向」をもって関連し合っている事実に着目していたからである(Veblen 1994a,77)。そもそも「経済的利害」を追求する人間は「複雑な思考習慣」を伴っており、またその「思考習慣」は社会の他の人間のそれから成る「生活習慣」から影響を受ける。つまり人間は孤立して「経済的利害」も「思考習慣」も貫徹させることはできない。このような「文化現象」をこそヴェブレンは「経済現象」と呼んだ(Veblen 1994a,77)。ヴェブレンが最終的に「進化論的経済学」によって探求しようとしたのは、この有機的な「文化現象」であったのである。こうしたヴェブレンの論理に対し、中山大が興味深い指摘をしている。すなわちそうした彼の批判は、国家主導の社会改良策を目指すという国家政策に重点を置いていた(後期)歴史学派への批判である、と(中山1974,106)。つまり非常に簡潔な言い方をするならば、歴史学派は有機体の在処を国家そのものに求めており、国家を構成する人間の相互作用に求めることはなかった。これまで考察してきた通り、ヴェブレンが経済現象の「有機体的傾向」の所在を、国家そのものにではなく、個々人の経済行為や経済的利害が「有機的に」関連し合っているところに求めていたことからするならば、中山の指摘通り、ヴェブレンと歴史学派とでは「有機体」の在処を求める方法自体が正反対であったことがわかる。すなわち部分の相互作用の存在そのものを有機体と見なすのか、それとも全体を有機体と見なすのか。この論議の核心部分には「有機体という生命」を「機能」から読み解くのか、「構造」から読み解くのかという重大な問題も、潜んでいる(4)。以上の2つの観点を踏まえ、ヴェブレンは既存の経済学とは異なる科学が必要であると主張した。「進化論的経済学とは、経済的利害によって決定される文化現象の過程の理論であり、すなわちその過程そのものの見地から提示される、経済制度の累積的連鎖(a cumulative sequence of economic institutions)の理論でなければならない」(Veblen 1994a,77)。これまでの考察から、ここでヴェブレンがいう「経済的利害によって決定される文化現象」とは個人の経済的利害に還元されるものではなく、社会という「有機体」を想定した上で初めて考察可能となるものであったことがわかる。ここに「進化論的経済学」の最大の特徴がある。しかしここで私たちは疑問を抱かずにはいられない。「進化論的経済学」とは、「進化論」と「経済学」という2つの矛盾する理論が並置されているのではないか、と。なぜならヴェブレン自身が既存の経済学に対して指摘していたように、「経済学」は「進化論的科学」ではなかったからである。確かにヴェブレンは「それ〔経済学〕は民族や共同体の経済生活の過程の理論でなければならない」(Veblen 1994a,78)と、あたかも経済学が「進化論的経済学」という学問に改良可能であるとも受け取ることができるような発言を行っている。しかし、ここで私たちが注目しなければならないのは、彼が「進化論的経済学」という術語を生み出したという事実ではなく、彼がなぜこの術語を生み出さざるを得なかったのかについての理由である。ここで先に考察したデラプージュの主張を想起するならば、このヴェブレンの主張はそれと重なる部分が非常に大きいことがわかる。ヴェブレンは、「経済制度の累積的連鎖」という術語を用いて、経済現象をはじめとする人間の社会におけるさまざまな「文化現象」は人為に拠ることなく「累積的に」進化してゆくと主張したかったのである。ここでヴェブレンのいう「進化」が意味していたのは「変化」である(cf. Veblen 1994a,70-1,75)。そうでなければ、経済学は「国家の衰退」や「民族の価値の低下」という社会現象の「推移」「動態」を分析できないとしたデラプージュの主張を、自らの論考の冒頭におくはずがない。ヴェブレンはイギリスを震源地とする進化論に大いに衝撃を受け、既存の経済学理論をすべて覆さなければならないと感じていた。それゆえ彼は「累積的進化」という発想を盛り込んだ科学の必要性を、「進化論的経済学」という言葉を通して主張したのである。当然のことながら、経済生活そのものは近代以前の社会にも存在していた。しかし、その経済生活の方向付けを経済学が行うようになってしまったことをヴェブレンは示唆していたのである。上述したように、最終的に人間を主体とする局地的な合理性を追求せざるを得ない近代社会を前提とした経済学と、「自然」を主体とする生物の変化過程を理論化する「進化論」とは、いかなる付帯事項をつけようとも相容れることはない。この両者は明らかに矛盾するからである。そうであるならば、経済生活・現象の成長「過程」を追求することができるとしたヴェブレンのいう「進化論的経済学」とは、経済学に、正確な意味での進化論に即してその再構成を迫るものであったと言うべきなのではないだろうか。歴史的にみても、ヴェブレンはスペンサーのように何も理論的視座がない状態から新たな進化論を生み出さなければならなかったのではなく、すでに彼によって半世紀前に発見されていた進化論に新たな観点を盛り込み、そのエッセンスを受け継ぎ展開することが可能な状態におかれていた。ヴェブレンはスペンサーほど徹底的に「進化」を全面に押し出してその論理を組み立てていかなくとも、「進化」という用語は十分に認知されていたからである。それゆえヴェブレンは、表面上には自らの主張する「累積的進化」という言葉を出さずとも、社会の進化過程を論じることができた。それが著作『不在所有制』であり、『有閑階級の理論』であった。第3章 ヴェブレンの近代社会批判ヴェブレンの著作や論考はすべて、近代経済学のもつ「自然」と対立する法則観――「人為的な」法則観――に基盤を委ねてしまった人間社会に対する批判、すなわち近代社会批判から成り立っているといっても過言ではない。このことは、以下に簡潔に考察する『不在所有制』(Veblen 1997)、『有閑階級の理論』(Veblen 1994b)に最も端的に提示されている。ヴェブレンの執筆時期を考えると後者の方が前者に先行しているが、近代固有の経済制度の強い影響を受けた結果、文化現象の変質が表出したとするならば、多少の時差はあるが前者から考察していくのが無難であると考えられる。『不在所有制』は、「不在所有制」という近代経済学が生み出した経済制度を取り上げ、アメリカ資本主義経済を批判したものである。ヴェブレンは、生産者=事業主と所有者=雇用主とを二極分割させるこの「不在所有制」こそが巨大独占企業の出現と拡大化を招来し、企業に多大な利益をもたらすことになったと考察している。例えば企業の利益の拡大化の一環として、彼は利益の最大化を追求するために市場における価格操作が企業主導で行われ、生産量制限によって価格のつり上げが可能になることに注目していた(cf. Veblen 1997,67)。いわゆる「不労所得」の発生である。ヴェブレンは、こうした「不在所有制」がまき散らす固有の法則性、すなわち生産者と所有者の隔絶を大前提とした経済制度のもつリズムに、近代以来の資本主義経済社会が確実にことごとく覆い尽くされてしまうと指摘していたのであった。例えば、物理学と化学の進展によって生産工程に加わらない専門技術者が職人階級を支配するようになり、従来からある技術産業が変質する(cf. Veblen 1997,251-83)。同じく生産工程にも事業にも加わらないで営業を行うセールスマンの躍進によって、市場の価格競争が熾烈化する(cf. Veblen 1997,284-325)。企業が株式、証券など「信用」機構に依存するようになり、資本の集中を容易に招き企業の規模を一層拡大化させる。その結果、市場のインフレが発生しやすくなる(cf. Veblen 1997,326-97)。ヴェブレンが注目していたのは、彼が生きていたその当時のアメリカ資本主義経済の状態の分析・考察ではなく、将来的に予測される状態であった。もちろん彼が進化論的発想に立っていたことを考慮するならば、こうした予測が人為的方策によって回避されうるとは思ってもいなかったであろう。ヴェブレンはそのような人為的方策の集大成である理論そのものを定立することを必要と考えなかったからである。近代以前の社会では決して見られなかったような奇妙な経済制度、けれど現代社会においては至極当然となってしまった「不在所有制」という経済制度は、第2章で考察したように資本家、事業者、生産者などの個人の経済活動や経済的利害に還元しても、その実態が一向に見えてこないことは言うまでもない。ヴェブレンの既存の経済学に対する批判は、変質した(しつつある)近代社会以来の経済制度に対し、これまでの理論では有効性に乏しいという切実な問題意識からもなされていたことがわかる。以上の『不在所有制』の論理を踏まえると、『有閑階級の理論』とは近代社会に登場した「有閑階級」の「理論」を論じたものとしてではなく、有閑階級を突出させることになった近代社会に対するヴェブレンの痛烈な批判として受け取るべきである。ヴェブレンが単なる「見せびらかしの消費」(cf. Veblen 1994b,68)を行う有閑階級の批判を行っていたのではなかったことが、次の文言から読みとることができる。「近代産業制度の必要が、個人や家族をたびたび〔日頃〕何の接触もない他人と意味もなく〔偶然に〕隣り合わせる。・・・今日私たちの社会の中において、日常生活では顔も知らないようなたくさんの他人と遭遇することがよくある。教会、劇場、舞踏会、ホテル、公園、お店などで」(Veblen 1994b,86-7)。「有閑階級」は「所有制」の開始と同時に文化現象の進化過程において登場することになった(Veblen 1994b,22)。つまり、「不在所有制」に代表されるような人間を土地から完全に切り離す経済制度によって、人間はそれまでには確かに存在していた共同体意識にもとづく慣習を維持することができなくなった。近代社会は隣り合わせてもその人が何をしているか一切わからないような個人の集合体となってしまった。ヴェブレンは地縁・血縁を基盤とする確固たる共同体意識が存在した前近代社会の人間とは違う人間に、近代人は変質したと危惧していたのである。ヴェブレンは進化論的発想をもっていたからこそ、「不在所有制」「有閑階級」という経済現象や文化現象の推移を社会全体の変質という観点から的確に捉えることができた。それゆえ、この2著は進化論を介在させると関連性をもって論じられるべきものであることがわかる。以上の考察から明確になったことがひとつある。それは、これらの著作は近代社会の「累積的進化」を批判的に描写したものであると同時に、第1章でスペンサーの提示した進化論から導出された「進化」の意味の特に3)を知らしめる具体例となっていることである。もし『有閑階級の理論』が「有閑階級」だけに注目する論理によって貫徹されていたならば、ヴェブレンが自分以外の人間には気を配ることなくバラバラの勝手な意識をもつようになってしまった「有閑階級以外の人間」の「人間性の変質」に言及するはずはないからである。結ヴェブレンにおける進化論は、まさに第1章で考察したスペンサーの論理から導出される「進化」の意味を十分に踏まえたものであった。それゆえ、ヴェブレンは人為的な因果連鎖に依拠せざるを得ない近代社会そのものを根底から支えている学問に対し、「経済学は進化論的科学ではない」と鋭く明言したのである。このことからしてもヴェブレンがいかに進化論から衝撃を受けていたのかがわかる。D.リースマンは、ヴェブレンが経済学で包括できると構想していた領域は社会学をはじめとする「より社会的な」社会科学であったと考察している(cf. Riesman 1995,162)。D.マーチンデールはヴェブレンが社会学者からは経済学者と、経済学者からは社会学者と見なされてきたと指摘した後に、彼の研究が単なる経済現象の分析の範疇を超越した対象を取り扱っていた社会学者であったと述べている(Martindale 1988,393)。いまヴェブレンが受けた進化論の衝撃と、進化論と経済学の矛盾を考察してきた私たちは、このマーチンデールやリースマンの意見に何のためらいもなく耳を傾けることができる。人為的な合理性を批判する進化論発想に立って近代社会を批判し、まさにその合理性では包摂することができない、慣習、人間性、社会構造等の変質を見据えることこそを、ヴェブレンは経済学や社会学などの社会科学に突きつけていたからである。註引用文中の〔 〕は引用者による補語である。(1)この3点を導出することのできる進化観を論理の根底に据え、近代社会における人間個性の疲弊を危惧していたスペンサーが、後世偏見をもって論じられる社会進化論者や社会ダーウィニストであるはずはなかった。詳しくは拙著参照。(2)cf. Davis 1993,81-5, 内藤 1985,76-106, 中山 1974,20-41, Tilman 1993,712-7.(3)しかしこのような重要な問題点を経済学に対して突きつけていたにもかかわらず、デラプージュの進化論そのものに関する考え方には決定的な瑕疵がある。それは彼が生物学的進化の過程を「・・・確実に未来をかすかに示唆するが、人間の行う調整や改良の域を超越するものではない」と考えていたことである(cf. de Lapouge 1897,54)。彼もまた進化論の重要性を感じつつも、進化論の核心部分を捉えきれてはいなかったといえる。しかし後述するように、ヴェブレンはこのデラプージュの進化論に関する決定的な瑕疵に惑わされることはなかった。経済学理論と進化論の整合性への疑問は、今日の制度学派研究においても少なからず存在する。「経済学の文脈において、進化論の過程は―いかなる筋の通った定義をしようとも―必ずしも最適な結果を導出するわけではない」(Hodgson 1994,208)。最適均衡点を求める経済学理論に進化論はそぐわないと主張されている。(4)周知の通り、生命に関連した「構造」「機能」概念についての議論は、社会学においても進化論が登場すると同時に活発に論議されるようになった。スペンサーとE. デュルケムにおける正反対な「生命観」については拙著第7章参照。参考文献
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(邦文htmlのため、アクサンやウムラウト等が落ちています)