19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、西欧近代思想は進化論から多大な影響を受けた。その顕著な影響は、ハーバート・スペンサーとソースタイン・ヴェブレンの理論の中に見出すことができる。本報告は、その論理の中に進化論的発想を据えていたスペンサーとヴェブレンの理論的共通性を追求し、ヴェブレンの「進化」そのものの意味を検討し直した拙論「ヴェブレンにおける進化論の意義」(『経済社会学会年報』22)を理論的に補足するものである。なぜ今、進化論を基軸としたこのような問題を検討しなければならないのか、という理論的な理由として次の3点を挙げておきたい。1)この19世紀半ばから20世紀初頭にかけての時代に、西欧近代思想が進化論からどれほどの衝撃を受けていたのかが明確になる。2)進化論の登場によって、西欧近代思想が明らかにパラダイム転換を迫られていた様相が浮上してくる。3)進化論は、今日あらゆる科学によってその重要性が強く認識されるようになっている。そうであるならば、この生物学理論を本質的に社会理論や経済理論の中にいち早く取り入れていた論者の主張には、後世の私たちが見習うべき看過してはならない観点があるはずである。1. 「進化」の本質的意味ヴェブレンよりも半世紀ほど先駆けて、人間と社会に関する論理の中に進化論を取り込んでいたスペンサーの論理から、まず今日私たちが注目しなければならない「進化」の意味を導出し、提示しておきたい(cf.挾本 2000)。社会学の黎明期にスペンサーによって提起された社会システム論(社会有機体説)は、生物有機体が〈自然〉に包摂される存在であるという大原則のもとに構築されている。この大原則は、言い換えるならば、生物有機体が「〈自然〉のもつ法則性」に従うことなく生きることはできない、という事実を指し示している。スペンサーが社会有機体説の根底にこのような大原則をおいていたのは、社会そのものを有機体であると見なしていたからである。というのも、第1に、人間自体が生物有機体の一種であり、人間はその他の生物有機体と「有機的世界を通じた緻密な統合」(スペンサー『生物学原理』)を営むことによって、自然界の中で生きていくことができるからである。第2に、社会はその「生きた」人間からのみ構成されているのではなく、人間を取り巻くすべての生物有機体から構成されているのであり、そうであるならばその「有機的世界を通じた緻密な統合」の集合体である社会もまた当然、有機体にほかならないからである。人間が「人間の作る法則性」にではなく「〈自然〉のもつ法則性」にこそ従って生きているという、今日の環境問題を考察する上でも非常に重要な観点を、スペンサーの社会有機体説は備えていた。しかしそれにもかかわらず、従来その社会有機体説は稚拙な譬え話であると軽率に受け取られてきた。また、社会有機体説を根底から支える、彼の主張した進化論の重要性もほとんど論じられることはなかった。スペンサーの全体系から導出される、彼いう「進化」の意味は以下の3点になる。1)進化は人間によって決定づけられない。2)進化とは「変化」を意味するのであり、そこに「発展法則」「発展図式」の意味合いはない。3)進化とは生物(人間)の〈群相〉(群体としての生存様態)の変化の過程を示したものである。スペンサーが150年前に提示していた進化論は、決して色あせたものではなく、今日の生物学的知見にも見劣りのしない正しい意味での「進化」を捉えたものであったのである。こうした進化論を踏まえていたからこそ、スペンサーは社会有機体説において〈自然〉、社会、人間三者の本質的な在り方を提示し、人間や社会の在り方が〈自然〉から乖離し始めた近代社会を批判することができたのであった。2. ヴェブレンにおける「進化」ヴェブレンの進化観は、その執筆時期のごく初期に書かれた「なぜ経済学は進化論的科学ではないのか」("Why Is Economics Not an Evolutionary Science?")の中で明確に提示されている。この論文の中で彼が直接進化論に言及している箇所はない。しかし、既存の経済学に対して加えられた、まさにその2つの批判点からヴェブレンの進化観が浮上してくる。1)既存の経済学理論は人為的な法則性によって確立されている。2)既存の経済学理論では、社会内部の人間相互が有機的に密接な関係をもっていることを十分に 提示することができない。1)の批判点は、ヴェブレンが古典派A.スミスの提唱した「神の見えざる手」という市場の目的論的秩序を維持するための理論的装置に言及していたことからも明らかである(Veblen 1994a, 65-6, cf. 75)。「神の見えざる手」に導かれて「理想的な経済行為が行われるとした究極的な原理」は、たとえ古典派経済学者に「正常な法則もしくは自然な法則(law of the normal or the natural)」と受け入れられていたとしても、ヴェブレンにとっては市場における人為的な「調整原理」に過ぎなかったからである。ヴェブレンは市場の局所的な合理性にしか通用しない古典派の理論を批判し、「因果関係」の追求に終始する経済学の手法を全面的に否定していた。それは彼が「因果関係」から導出される「〔物質世界の〕機械論的な構造」と「人間の物質的目的」を追求するのは「分類学」の目的であって、経済生活の変化過程を追求していくはずの経済学理論の目的にはならないと主張していることからもわかる(Veblen 1994a, 71)。人為的な「調整原理」や人為的に導き得る「因果関係」は、全体に対する局所的な秩序しかもたらさない。そもそも進化論が全体に対する局所的な法則性によって成立するものではないことからするならば、この古典派経済学に対する批判点から、上記1.において提示した「進化」の意味の1)を踏まえたヴェブレンの進化観が浮上してくる。2)の批判点は、ヴェブレンが「経済的利害は孤立して作用しない。というのも、それは個人の活動が活発化することによって複雑化していく目的論的な活動から生じる〔社会における〕利害関係の、ほんの一部分でしかないからである」(Veblen 1999a, 77)と述べていることからも明らかになる。ヴェブレンは、経済現象を市場における「個人」の経済活動や経済的利害に還元させている既存の経済学理論に対して批判を加え、社会における「経済的利害」が「有機体的傾向」をもって関連し合っていると主張した。さらにその主張に加えて、彼はそもそもこの「経済的利害(経済的関心)」を追求する人間には「複雑な思考習慣」があり、それが社会における他の人間の「複雑な思考習慣」全体から成る「生活習慣」から影響を受けていると述べている。すなわち、ヴェブレンは人間が孤立して「経済的利害(経済的関心)」や「思考習慣」を貫徹することができないと理解していた。そのような「文化現象」がヴェブレンにおける「経済現象」であり(Veblen 1994a, 77)、彼はその有機的な「文化現象」をこそ論究しようとしていた。この人間社会における「文化現象」の特質は、ヴェブレンがこの論文の冒頭で引用した人類学者の論考の考察を踏まえるとより明確になる。M.G.デラプージュは、既存の経済学理論では「社会発展」「文明の歴史的な発展」「国家の衰退」「民族の価値の低下」といった動態分析を行うことができないと述べていた(de Lapouge 1897, 54)。ヴェブレンが「進化論的科学」について考察した論文の冒頭で、このデラプージュの論考をわざわざ引用し、批判をほとんど加えることがなかった理由は2つあると考えられる。第1に、ヴェブレンが、近代科学は「発展」だけを取り扱うのではなく国家の「衰退」や民族の価値の「低下」をも取り扱うことが可能でなくてはならないと考えていたことである。すなわち、ヴェブレンにおける「進化」が意味していたものは「発展」だけではなく、「衰退」「低下」を含む「変化」「動態」であった(cf.Veblen 1994a, 70-1,75)。「文化現象」は「進化」するのである。この「進化」の意味に啓蒙思想以来の「発展法則」「発展図式」的発想が組み込まれていることがないことは言うまでもない。第2に、ヴェブレンが、こうした人間社会の中における「文化現象」の「変化」は、人類学の観察対象でもある、人間が「群れ」として集落を構成して生きている、その生存様態・生活様態の変質を浮上させると考えていたからである。このことは、ヴェブレンが近代社会に蔓延する「見せびらかしの消費」や「不在所有制」に着目し、近代以前の社会と近代社会とでは「文化現象」「経済制度」が変化し、それによって「人間の本質」も変質してしまったことに言及した『有閑階級の理論』(Veblen 1994b)や『不在所有制』(Veblen 1997)を執筆していることからも明白である。以上2)の批判点の考察から、ヴェブレンの論理における進化観が明確になった。そこからは上記1.の中で提示した「進化」の意味の2)、3)が浮上してくる。上記1)の批判点から「進化」の意味の1)が浮上してきたことも合わせて踏まえるならば、スペンサーとヴェブレン両者はその論理の基盤に進化論を据えており、そして半世紀の時間差があるとはいえ同様の核心部分が導出される進化観をもっていたことがわかる。ヴェブレンも古典派経済学を批判することを通して、スペンサーのように〈自然〉と人為の対立を明確にし、その激しい対立様相を問題提起するために様々な近代社会批判を行っていたのである。3. ヴェブレンの近代科学論ヴェブレンは論文「なぜ経済学は進化論的科学ではないのか」において、人間を主体とする市場の局所的な合理性を追求せざるを得ない既存の経済学理論と、〈自然〉を主体とする生物の変化過程を理論化する「進化論」とが相容れることはないと主張した。この論文以外に書かれたいくつかの近代科学論においても、彼はこれまで考察してきたような進化論をを基盤とした上で論旨を展開し、近代社会批判を行っている。論文「近代文明における科学の位置」("The Place of Science in Modern Civilisation")において、ヴェブレンは近代文明が万能的に優れているのではなく、それはただ知的な活動の中の非常に限られた領域において優れているだけだと明言している(Veblen 1994c, 1)。彼は、近代文明化した人間が、物質的な事実に対し「没個性的で、感情を交えない」洞察を行うことが可能な独特の状態におかれていると判断していた(Veblen 1994c, 1)。というのも、例えば人間が、近代初期には科学者や職人自らの勘にしたがった自然法則にもとづいて現象の因果関係を考えていた状態から、近代後期には発見された科学的な知識や機械工程にもとづいて現象の因果関係を追求する状態に重心を移すようになったからである(cf. Veblen 1994c, 14-5)。彼は、近代文明が目的論的に解釈することのできる機能的な知識を尊重するようになり、近代人の人間性は実用主義的になってしまったと判断していた(cf. Veblen 1994c, 5)。というのも、そのような科学に要求される近代人の性格は、野生の文明が築かれていた頃から人間に備わっていたものではないからである。ヴェブレンは独自の一貫性のある基準を携えていた、野生に生きる人間や近代初期以前の人間の知識の体系を尊重し、近代科学の進展がこれらの知識やその知識を支える人間性を破壊したと考察している。近代文明の物質的な発展具合だけに注目するのではなく、それ以前の文明社会と比較することによって、近代文明はそれ以前とは異なる人間性をもつようになってしまったと主張するヴェブレンのこの見解は、スペンサーが抱いていた近代社会批判と同質のものである。論文「科学的な観点の変化」("The Evolution of the Scientific Point of View")では、ダーウィンの進化論発見以前と以後とで科学の観点が変化したことが論じられている。ダーウィン以前の科学には、職人がもっていたようなすべての因果関係を支配する自然法則の体系が存在していたために、科学者が個々の現象の原因と結果を結びつける習慣はなかった(Veblen 1994d, 34-7)。これに対し、ダーウィン以後の科学では、原因から最終的な結果に行き着くまでの、その過程における変化の観察に重点がおかれ、科学者は「何が起こったのか、何が起こっているのか」と次から次に連続的に因果関係を分析するようになった(cf. Veblen 1994d, 37-9, 55)。このような科学的観点の変化は、人間の「思考習慣」にも変化をもたらす(Veblen 1994d, 39)。テクノロジーの進展によって、近代科学は職人が備えている「より一層高度で、崇高で、深遠で、精神的で、無形な知識の概念とシステムが明確に備わっている本質的な理論の領域」を徐々に侵害していっている(Veblen 1994d, 50)。ダーウィン以降の科学は、熟練の科学者によってさえも「重なり合うような因果関係の進化過程(the evolutionary process of cumulative causation)」が「超自然的で〔人間にとって〕有益な傾向」なものであると考えられるようになっていった(Veblen 1994d, 55)。その理由は「『進化』が改良もしくは『発展』を意味するものであると考えられている」からであるとヴェブレンは考察している(Veblen 1994d, 55)。「進化」を「改良」「発展」と混同する近代科学を批判したヴェブレンの論拠が、彼の進化観に支えられていることは言うまでもない。この批判を正確に受け止めるためにも、ヴェブレンの進化観の考察は必要なのであった。論文「突然変異説とブロンド型」("The Mutation Theory and the Blond Race")では、19世紀半ばに発見されたG.J.メンデルによる「メンデルの法則」と1901年にH.ド=フリースによって定立された進化学説を論拠として、アーリア人(インド-ヨーロッパ人)は純粋人種ではないことが論じられている。ヴェブレンは最終的に、アーリア人の純粋種の身体的な特徴―毛髪がブロンドで頭の形が前後径の長い長頭―が、純粋種と毛髪がブルネットという身体的な特徴をもつその他のヨーロッパの血統との混血の結果維持されてきたと考えることが妥当であると述べている(cf. Veblen 1994e, 475-6)。ヴェブレンも関心を示した、突然変異説を踏まえて盛んに行われていた当時の民族(人種)に関するさまざまな疑問―起源、移民、分布、年代、文化の由来、文化のつながり―に関する議論は、進化論を基盤にした上で成り立つものである。彼にはアーリア人が最も優れた種であるという、後の優性思想につながるような考えは一切なかった。このヴェブレンの考えをさらに読み込むならば、民族(人種)の進化には「発展法則」や「発展図式」の意味合いはなく、それが民族(人種)の多様化の過程であると認識されていたことがわかる。[参考文献]挾本佳代、2000『社会システム論と自然―スペンサー社会学の現代性―』法政大学出版局。――――、2000「ヴェブレンにおける進化論の意義」『経済社会学会年報』22: 143-50。Lapouge, G. V. de 1897. "The Fundamental Laws of Anthropo-sociology",
The Journal of Political Economics, vol. 6, pp. 54-92.Spencer, H. 1966, 1967. The Works of Herbert Spencer, 21vols, Osnabruck/Otto Zeller.Veblen, T. 1994a(1898). "Why IS Economics Not an Evolutionary Science ?",
The Quarterly Journal of Economics, vol. xii, The Place of Science in Modern Civilisation and Other Essays, 1961, in The Collected Works of Thorstein Veblen, 10vols, Routledge/Thoemmes Press, vol. 8, pp. 56-81.――――1994b(1899). The Theory of the Leisure Class, Penguin Books.――――1994c(1906). "The Place of Science in Modern Civilisation",
The American Journal of Sociology, vol. 11, op. cit. pp. 1-31.――――1994d(1908). "The Evolution of the Scientific Point of View",
The University of California Chronicle, vol. 10, no. 4, op. cit. pp. 34-55.――――1994e(1913). "The Mutation Theory and the Blond Race",
The Journal of Race Development, vol. 3, no. 4, op. cit. pp. 457-76.――――1997(1923). Absentee Ownership, Transaction Publishers.
(邦文htmlのためウムラウトが落ちています)