ファッションとスポーツ (『ホーム・エコノミカ』vol. 17, no. 2, pp. 20-3.)
挾本 佳代(法政大学大学院)  
 


 ●たかが運動靴、されどエアマックス●

   ある新聞の投稿記事を読んでいて、噴き出してしまったことがある。こんな内容だった。投稿者は高校生の息子をもつ母親。息子がシーズンごとにモデルチェンジされる運動靴を買うために、1回につき3〜4万円も要求してくる。母親には一足の運動靴がどうして数万円もするのかが理解できない。数カ月もすると息子はまた運動靴代を要求してくる。「あんな運動靴のメーカーなんか、つぶれてしまえばいいと思います」
   この母親の怒りの対象となっているメーカーは、あのナイキである。いわゆる団塊の世代である彼女たちにとってみれば「たかが運動靴」。スポーツする時に履く靴なのだから、どうせ履きつぶしてしまうものである。一流のスポーツ選手ではあるまいし、高価である必要はどこにもない。けれど、その息子たちである団塊ジュニアにとってみれば「されどエアマックス」なのである。彼らはこのスニーカーを手に入れるためであるならば、店の前で一晩や二晩の徹夜も辞さない。昨年新聞紙上で報じられた、高校生の恐喝事件や盗難事件のその目的にナイキ製のスニーカーがあがっていたことは記憶に新しい。一足数万円ものプレミアム価格で売られているという。
 
 ●ナイキ騒動の実態は?●

   それにしても、である。このナイキ騒動は調べていけばいくほどわからない部分が非常に多いのである。「すごい人気」「手に入れにくい」「高い」という噂ばかりが先行していて、実態がさっぱり見えてこない。そこで、この原稿を書くにあたって、ナイキ・ジャパンに取材を申し込んだ。二次的な資料を使うのが嫌だったからだ。
   すると、お客様相談室が書面にて質問を受け付けるので、取材には一切応じないと軽くあしらわれた。それでは、と十数項目の質問をナイキ・ジャパンに郵送し、この原稿の締切日ぎりぎりまで待つことにした。そこでは、「エアマックス」シリーズの企画意図、機能性、特徴、これまでの販売実績、モデル・チェンジの回数、流行の分析、今後の戦略などを質問した。わたしとしてはどの質問も常識的なものばかりだと考えていた。しかし、待つこと1カ月、ナイキ・ジャパンからは次のような解答が送られてきた。
   「折角のお申し付けではございますが、お送り頂きました質問で現在弊社の方でお答え  出来ます内容(一般のお客様に公表出来ます内容)のものがございませんでした」
   販売実績はともかくとして、定価さえも提示してくれないというのはどういうことなのだろう。
 
 ●定価が事実上不明なエアマックス●

   ならば、二次的な資料に頼るほかはない。『別冊宝島』が「コレクターの世界」という興味深い特集を組んで、エアマックス・シリーズのほか、カシオのGショックやNBAグッズなどに関するブームの分析とプレミアム価格を列挙していた。そこで、以下の数値的資料はすべて『別冊宝島』に拠らせていただくことにする。
   誰もが知っている通り、スポーツメーカーと選手が契約を取り交わし、選手が試合中にそのメーカーのシューズやウェアを着て、広告塔になる。ナイキと契約をしているゴルフのタイガー・ウッズなどは、別の缶コーヒーのCMに出演している時でさえも、あのナイキのマーク入りのファッションで決めている。
   ナイキのスニーカーの最大の広告塔はNBAシカゴ・ブルズの「神様」ことマイケル・ジョーダンだ。1985年に彼がブルズにルーキーとして登場した際に、軽快なダンクシュートを決めるジョーダンをイメージして作られたのが「エアジョーダンT」であった。定価は1万7800円。ついで、87年には「エアマックス」シリーズが誕生する。「エアジョーダン」「エアマックス」の「エア」は「空気」の意味。踵の部分に弾力吸収のためにエアが入っている。サイドと後部に数カ所もうけられているエアウィンドウによって、それを確認することができる。
   現在、もっとも人気のある型は95年に発売された「エアマックス95」のイエローであるという。SMAPのキムタクがこのイエロー×グレーを履いていた、ということから一気に値段が跳ね上がった。色彩的には、足首にあたる部分がイエローで底に近づいていくほどグレーのグラデーションがかかっている派手なものである。定価は1万5000円であった。
   ナイキでは取扱い数量を前もって小売り店に決定してもらい、完全買い取りの返品なしという条件で、新作モデルを供給するという「フューチャーオーダー制」を敷いている。この制度の回数は、1995年までは年に2回、96年からは年4回になっている。いわば計画的かつ効率的に生産をするためのナイキ側の戦略である。この販売制度の回数に合わせて、モデルチェンジはシーズンごとに行われている。
   ナイキの販売戦略もわかった。エアジョーダンやエアマックスの人気の型もわかった。しかし、『別冊宝島』を読んでいて一番不可解だったのが、「定価は〜円ぐらい」と書かれていることだ。先に「エアジョーダンT」が1万7800円、「エアマックス95」が1万5000円と書いたが、どうもこの定価では事実上売られていないらしい。というのも、ナイキ側は特定の販売店にしか商品を卸さないが、需要はそれを上回っているからだ。そこでそれ以外の店では並行輸入をし、価格に関税やら海外渡航費やらが加算して販売をすることになる。
   しかし、エアマックスの定価が事実上不明なのは、以上のナイキによる数量規制戦略だけのせいではない。発売当日に苦労して購入されたエアマックスは、数日後には転売され続けるからである。これを「ナイキ転がし」という。バブルの頃の土地転がしをイメージすればいい。何でもナイキのスニーカーにこだわる高校生は、最低でも3足同じ型のものを確保しているのだという。1足はコレクションのため、2足目は自分で履くため、3足目は転売して元手を回収するため。つまり、高校生は、「このエアマックスは弾力に優れていて、履いていても気持ち良い」から買うのではない。さらにファッションブランドではお馴染みの偽物が横行して、定価をあって無きのごとくにしていく。それで、先の「エアマックス95」イエローには、現在10万円から15万円もの値がついている。「エアジョーダンT」にいたっては30万円ともそれ以上ともいわれている。
   つまり、ナイキにとってみれば、わたしがしたような質問には一切答えない方が人気が維持されるという仕組みになっている。人やテレビや雑誌が面白おかしく、謎が謎を呼んでくれる方が都合がいいのである。たとえ偽物が暗躍しようとも。
 
 ●サポーターになろう!●

   これまで、日本のスポーツシューズ市場は国産のアシックスやミズノの両社で約6割のシェアを占めてきた。しかし、このナイキ騒動をきっかけに、ここ2、3年で外資系のナイキが日本でシェア1位になり、国内スポーツシューズメーカーはすっかり冷え込んでしまった。そこで、ミズノはナイキに対抗するために、米国でのシューズの販売に力を注ぎ、2000年には米国市場の3パーセントを獲得する戦略を立てているという(朝日新聞 1997年12月11日朝刊)。米国を発信源として、今度はミズノ騒動が日本中を駆けめぐる日も近いのかもしれない。
   では、わたしたちもサポーターになろうではないか。何のサポーターに? ナイキはいずれ流行遅れになるからミズノのサポーターに? それとも仏ワールドカップに出場する日本代表のサポーターに?
   いえいえ、そのようなサポーターではさにあらず。グリンピースのサポーターというのはどうだろう。30万円の「エアジョーダンT」分で、あなたは100口の寄付をグリンピースにし、南氷洋のミンククジラや熱帯雨林を保護することに貢献することができる。南アフリカのシエラレオネのサポーターはどうだろう。1本3円のワクチンが10万本買うことができるから、あなたは10万人もの栄養不良のために5歳未満で死亡してしまう幼児を救うことができる。それから、それから・・・。
 

  参考文献

  『別冊宝島300号 コレクターの世界』、1997年、宝島社。