スポーツと女性 (『ホーム・エコノミカ』vol. 19, no. 4, pp. 14-7.)
桜庭 かよ(フリーライター)   
 


   中国四川省涼山地区。この山間部地区に、主として牧畜業を営み生計を立てている彝族(イ族)が暮らしている。彝族は500万人あまりの人口を有する中国西南部最大の少数民族だ。
   いまも昔も、彝族の男たちは勇猛果敢であることが知られている。そのために、かつては家族や部族間で頻繁に戦争が起きたという。
   しかしそうした戦争の際、休戦を促すのは両陣に親戚をもつ女性だった。彼女は両陣が睨み合うところに分け入り、身につけたプリーツ・スカートを時おりパッとめくりながら舞う。「あなたたちは、両方ともこの同じところから生まれてきた一族なのですよ」。
   私はこの彝族における休戦工作を考える度に、女性のもつ原始的な、自然に通ずる偉大な力を思う。
 
 ●ジャージー、シャネル、女子スポーツ●

   近代オリンピックに女性が初めて選手として登場したのは意外に古く、1900年に開催された第2回パリ大会でのことだった。彼女たちが参加した種目はゴルフとテニスの2種目。以後女性が参加することのできる正式種目が徐々に増えていった。1921年には「国際女子スポーツ連盟」が設立されて、スポーツに参加したい女性の声が積極的にすくい上げられるようになる。その甲斐あって、1928年の第9回アムステルダム大会からは、陸上競技にも女性が参加することができるようになった(ジュース〈JWS:Japanese Association for Women in Sport〉Webサイトより)。
   女性が20世紀に入ってようやくスポーツに参加することができるようになったその背景には、新たな服地の開発と従来のファッションへの見直しがあったことも忘れてはならない。1900年以前女性はコルセットを常に身につけていた。当時の女性を側面から見ると、あたかも昆虫の環節部分を思わせるかのような細くて華奢なウエストラインが強調されていた。そのウエストの華奢さこそが「女性らしさ」につながっていたからだ。また、その頃の服地には伸縮するような素材が使用されることは皆無であった。コルセットで高く持ち上げられ空気を多く含むことによって、シャラシャラと甘美な音を奏でる衣擦れがするようなシルクやタフタなどが好んで使われていたからだ。
   身体を変形に追い込んだコルセットから女性を解放した立て役者が、あのココ・シャネルである。彼女はコルセットがなくても女性らしさを表現するデザインを試みた。その際シャネルが注目した素材が、ジャージーであった。
   ジャージーという名は、イギリス海峡に位置するチャンネル諸島の南端にあるジャージー島に由来している。この島の漁師が来ていたニットシャツがジャージーで出来ていたのである。伸縮性と通気性に富んだこの素材は、海の上での荒仕事が多い漁師にはうってつけのものであったのであろう。シャネルがこの素材を使ったいわゆるシャネル・スーツを発表して、女性のコルセットからの解放を訴えたのがちょうど1918年頃。時同じくして女性のスポーツ参加が多く主張され、同時にスポーツウェアーの素材としてもジャージーが注目されるようになった。シャネルの女性スポーツに対する貢献は決して小さくはない。
   しかし、ここではたと考え込んでしまいはしないか。シャネルの使用した素材は確かにコルセットから女性を解き放った。またそれは女性のスポーツ参加を導く少なからぬきっかけにもなった。けれど、シャネルの業界での成功はファッション産業振興の胎動を知らせるものでもあったのである。やがてファッション業界も大量生産、大量消費の循環の中に組み込まれることになった。
   ところで、昨今の女子テニス界を見ても、例えばウィリアム姉妹などは男子プレーヤーと互角に渡り合うだけのパワーをもっている。陸上短距離走のマリオン・ジョーンズもしかり。女子選手は確実に「強く」なった。しかしその「強さ」に、どこか人為的な作られた臭いがしてしまうのは私だけだろうか。その「強さ」には、冒頭で紹介した彝族の女性のもつ原始的なしなやかさがほとんど感じられないからである。
   シャネルが注目した、ジャージーはそもそも漁師のために一目一目紡がれたものだった。それは、自然と真摯に相対する生活から生まれてきた、まさに生活必需品だったのである。けれど図らずもこの素材は、女性とスポーツを「自然」「原始的な強さ」とは正反対のずい分と遠いところへ導いてしまったような気がする。
 
 ●シドニーオリンピックとグリンピース●

   彝族の女性の強さは、言うまでもなく人間と自然が一体化した生活そのものから生まれてきたものだ。両戦陣に女性のスカートの間から見せつけられたものは、母なる大地の象徴にほかならない。そうであるならば、地球規模で刻一刻と自然環境が脅かされている現在において、多くの女性がそのような強さを喪失してしまったとしてもそれは無理もないことなのかもしれない。
   意外に思われるかもしれないが、シドニーオリンピックは自然環境にやさしい開催地を目指す初のオリンピックなのである。
   シドニーが北京を僅かな差で破ってオリンピック開催地の権利を獲得したのが1993年9月のIOC総会でのことだった。5つの候補地からシドニーと北京を選出するまでに3回の投票を行わなければならないほど接戦だったこの闘いは、4回目の投票でようやく決着がついた。その勝因がシドニー側からIOC招致委員会に提出されていた環境対策だったのである。
   実はこの環境対策にはグリンピースが大きな貢献をしている。その詳細はグリンピースの公式Webサイトに記されているのだが、以下ではそれを元にしてシドニーオリンピックでの環境対策を見ていくことにしよう。
   グリンピースのシドニーオリンピックへの働きかけは1992年に遡る。グリンピースは、まずシドニーを州都に擁するオーストラリア南東部のニュー・サウス・ウェールズ州政府に、オリンピック開催時に問題となる環境問題に対するガイドラインを提案した。太陽光などの再生可能エネルギーの利用や会場近くの多国籍化学企業から排出される有害物質の一掃など、5つの柱から成るそのガイドラインは1993年に州議会を通過した後、IOC招致委員会に提出される開催計画書に盛り込まれた。それが北京を破った環境指針「グリーン・オリンピック・ゲーム」である。
   この環境戦略の主な具体例は次の通りである。
   1)CO2排出量を抑えるために、選手村の宿舎並びに近隣の665のすべての民家にソーラーシステムを設置し、太陽エネルギーを利用する。オリンピック・スタジアム、スーパー・ドーム、レガッタ・センターにもソーラーパネルを設置し、太陽エネルギーも代替エネルギーとして活用する。
   2)ダイオキシン発生を防ぐために、開催地の建材にPVC(ポリ塩化ビニール)を使用しない。
   3)オリンピックの主会場への観客の自家用車利用を制限し、その代わりに公共交通を発展させる。
   4)かつて工業地帯であったためにダイオキシン汚染が懸念された、メインスタジアムのあるホームブッシュ・ベイ(Homebush Bay)の土壌を一掃する。
   この他、自治体国際化協会(CLAIR)のWebサイトによれば、新規施設建設を最小限にしたり、生態系への影響を考慮し無農薬で害虫駆除を行ったり、トイレの洗浄にリサイクル水を使用することなども盛り込まれている。まさに世界中が注目するオリンピックは、地球環境の保護を訴える環境政策の見本市ともなっているのである。
   こうしたグリンピース主導の環境対策は、オーストラリア連邦政府やニュー・サウス・ウェールズ州政府だけを相手に提示されているのではない。それはシドニーオリンピックの公式スポンサーにも及んでいる。グリンピースはコカ・コーラ社とマクドナルド社両社に対し、フロン系の代替物の1つであるハイドロフルオロカーボン(HFC)の使用を一切禁止せよと要請し続けている。しかしこの要請は1992年以来8年間にわたって続けられているが、未だ受け入れられていない。「グリーン・オリンピックであるのにダーティなスポンサー」とグリンピースは現在もWebサイトで攻撃をしている。
   「国際オリンピック委員会は、スポーツ、文化に次いで、環境がオリンピック精神を支える第3の特質であることを保証すると決定した」(IOC会長アントニオ・サマランチ)。どうやらシドニーを契機に、オリンピックを招致する有効な決め手は開催地立候補国側の積極的な環境対策となったようだ。今後はいずれのオリンピックでも人々に環境問題が問われることになる。グリーンピースもシドニーオリンピックでは「重要な監視の役割を果たす」と主張している。初の「グリーン・オリンピック・ゲーム」は、自然環境維持にどのような成果をあげることができるのであろうか。
 
 [参考文献]
  ケ廷良著、王矛・王敏編訳『謎の西南シルクロード』原書房、1991年。
  Nunn, Joan: Fasion in Costume 1200-1980, Herbert Press, 1984.
 [関連サイトURL]
  CLAIR;<http://www.clair.nippon-net.ne.jp>
  Greenpeace; <http://www.greenpeace.org/>
  JWS; <http://www.jws.or.jp/>