2005年4月15日(金) 前期第1回講義
「環境問題」という文字や言葉が新聞やテレビなどで必ず見聞きされるようになったのはいつからなのでしょうか。いまや幼稚園に通う園児ですら「地球が病気なんだって」と話してくれます。どうも幼稚園で先生が言っていることを覚えてきたようです。この講義では「地球が病気である」という状況を、データから読みとったり、さまざまな活動を続けている人びとの異なる立場と主張を解説しながら、環境問題を複眼で捉えるようになっていただきたいと考えています。
人が「環境問題」というとき、どのような問題のことをいうのでしょうか。具体例はいくらでもあります。酸性雨、地下水の減少・枯渇、大気汚染、土壌汚染、野生稀少生物種の絶滅・・・。こういったひとつひとつの現象を理解することはもちろん重要なのですが、この講義では環境問題を少なくとも2つの側面からアプローチしていきたいと考えています。それは人口問題と資源問題です。いわゆる環境破壊の原因には世界の人口問題が背後に潜んでいたり、環境破壊以上に切実な資源問題も存在することをわたしたちは正確に知る必要があるからです。
来週以降はデータを分析しながら進めていくことが多くなります。教室でもお話ししましたように、データ資料は当日お配りするのみとします。つぎの週に前の週のデータをほしいと言われてもお渡しすることはしません。ここのところは十分注意してください。
それでは、また来週に。
2005年4月22日(金) 前期第2回講義
『平成15年度版環境白書』から表「わが国の社会経済とくらしの変遷」から、環境問題とわたしたちの生活を考えてみました。この表にある通り、環境問題というと「人間にとって便利な生活」を支える人間の活動から(知らないあいだに)生みだされてきてしまったものがほとんどです。しかし、だからといって、人間だけの社会を考える視点だけで環境問題を考えればいいのか、というとそうでもないはずです。
そもそも「社会」というものは、人間だけが営んでいるものでしょうか。「そうだ」という方と「そんなことはない」という方がいらっしゃるでしょう。「そんなことはない」と主張する方は、アリやハチやサルなどの生態を思い浮かべているのかもしれません。「そうだ」という方の中にも人間以外の生物が「群れ」で生活している生態を知っている上で、あえて、そう主張している方もいらっしゃるかもしれません。あえて主張する理由は「人間の社会は、他の生物が作ることができない固有のものである」ということかもしれません。簡単にいえば、人間の社会とサルの社会は違うから、ということなのかもしれません。サルは国家をもたないし、制度をもたないし、何より理性的な人間が作り上げる精巧な社会形態とサルのそれを一緒にして、同レベルで比較しようとすること自体が気に入らないのかもしれません。
確かに最近NHKのドキュメンタリーで頻繁に放映されている動植物の生態に関する番組では、「アリにも社会があるのです」などとナレーションが入ってきます。そのとき、番組を見ている私たちは何の違和感ももつことはありません。アリが実に緻密な巣を作り上げ、女王アリと働きアリは見事に役割分担がなされていて、そこには命令指揮系統がきっちりと組み込まれている。それらは官僚制度を彷彿とさせ、まるで「人間の社会のようだ」と思えるほどのリアリティをもっているからです。また、こうした動植物の生態が「生物学」や「動物行動学」といった講義の中で解説され、「アリには社会がある」と耳で聞いたとしても、その時みなさんにはきっと違和感はないはずです。
しかし、それが「社会学」「環境社会学」という学問の講義の中で「アリにも社会がある」といい、「人間とアリの社会は同じだろうか」と問いかけるやいなや、多くの人が違和感を感じるのは、おそらくその背景に「人間とアリを比べるなんて」とか「人間の社会とアリの社会はまったく別物なのに」という思いが少なからずあるからなのではないでしょうか。
もちろんこうした問いかけをしている私も、人間とアリの社会が形態からしてまったく同じものであるとはさらさら考えていません。アリには国会や裁判所はないし、国会議員を選出することもないし、制度から逸脱して制裁が加えられることもない。けれど、それはこう考えてみれば当たり前のことなのです。アリにはそんなシステムや制度はなくても、種全体は生き延びていくことができるのだ、と。ハチもサルも同様です。自然の中で、まず個体が生き長らえ、そして種全体が断絶することなく生き延びていく上で、現代人が作り上げているようなさまざまなシステムなどは必要ないのですから。アリもハチもサルも、個体と種が生き延びていくことに必要な以上の、過剰なシステムを作り上げることはないと言い換えることもできます。
それに対して人間はどうでしょうか。アリやハチやサルとは異なる身体的特徴をもち、その長所も短所も生かしながら、人口を増やし、生活地域を拡大し、その生活地域を包摂する自然の中で生きていくのに必要な農業や牧畜といった生業を進歩させ、ある時は道具を作って生産性を上昇させたりしてきた。人間がこれまで築いてきた文明を生物学と人類学両方の観点から考察したものに、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(草思社)という著作があります。これを合わせて読んでもらえば、古代から現代にいたるまで、人間がどのように文明を作り上げ、進展させてきたのかがわかってもらえると思います。もちろん、このとき、人間は「社会」を営んでいます。人間という種が生き延び続けていくために、必要な生活形態をもっていたに違いないからです。
ということは、そもそも「社会」とは、人間にせよアリにせよ、その種が生き延び続けていくために必要な生活・棲息形態が組み込まれた、生存様態(生きている状態そのもの)であったことがわかります。
しかし、人間はその文明化の過程で、他の生物と同様に自然と共生をしている状態からやがて突出し、自分たち人間にだけ都合のいい生存様態のために邁進するようになります。ちょっと考えてもらえばいろいろな事例を挙げることができるはずです。森林を伐採して住居を建てたり、工場を建てる。工場では、自然の中で採ってこればすむはずだった食糧ではなく、自然界の中では決して生み出されないような必要以上の道具や機械などが生産される。利便性をとことん追求する。産業革命はその典型的な例です。
少し補足をするならば、そもそも社会学が誕生したのは、いまから150年ほど前、ちょうど産業革命が成功し、人間がつぎからつぎへと過剰な生産物を生み出し、それにしたがって、人間の生きている状態そのものが劇的に変化していった時期だったのです。産業革命の成功によって作り出された新たな生存様態=「近代社会」は、そこに生きる個々の人間の力も通用しないほどの勢いをもった急流となり、怒濤のごとく、そういう生存様態をもたない人たち=未開人をも巻き込んでいったのです。こうした、人間の生きている生存様態の劇的な変化に疑問をもつ人がいてもおかしくありません。「このまま進展しつづけるとどうなってしまうのか」「これでいいのか」「なぜこういうことになってしまったのか」。例えば、19世紀半ばにイギリスで社会学を提唱したハーバート・スペンサーもそうした疑問を切実に感じていた社会学者の一人です。
つまり、歴史的に社会学は、アリやハチやサルの生存様態から突出することにならざるを得ないように追い込まれていった、人間の生存様態を疑問視するところから始まっているのです。しかし、非常に皮肉なことに、人間は産業革命以降に新たに作り出されることになった生存様態=近代社会を、より進展させることに邁進することを試み続け、疑問を抱くことに重要性を見出すことをしなかったのです。
だから、社会学では、黎明期に提示された重大な疑問そのものが反映された社会観ではなく、人間だけの、近代という時代に適応した社会が論じられるようになってしまったといえます。そこで、人間の社会が、そもそも生物が自然の中で生き延びていくために必要な、生物個々の生存様態であった「社会」という観点から論じられることも、アリやハチやサルの社会とそれらが本質的には同質であるという観点から論究されることもなかったのです。ここに、生物学や動物行動学でいう「社会」と、社会学でいう「社会」が少なからぬ質的な差異をもたなければならなくなってしまった背景があります。
私たちの社会は、状態としてすでに近代社会の形態を備えています。しかし同時に、そういう形態だけを追求してきてしまったために、自然から乖離してきてしまったために、近代以前の人間が当たり前のようにもっていた生存様態を手本にしなければならないようなアポリアを発生させてしまっている。地球レベルでの環境問題などがそれです。「社会」を考えていくと、必然的にこうした環境問題にぶち当たるのです。なぜぶち当たることになるのか、ということにアプローチするためにも、人類学や生物学などの知見が必要になってきます。
人類学や生物学の知見については追々話していくことにしましょう。来週からは具体的な環境問題のデータを考察していくことにします。まずは資源問題です。
それでは、また来週に。
2005年5月6日(金) 前期第3回講義
今日お配りした資料は『ワールドウォッチ研究所 地球環境データブック2004-05』(家の光協会、2004年)の「漁業・養殖生産量」「化石燃料使用量」でした。講義内でもお伝えしましたが、同じ資料を再度配ることはしませんので気をつけください。
チェックしておいてほしい箇所は講義中に述べた通りですが、特に先進国と途上国の漁業・養殖生産量の比較は注目しておいてください。途上国が先進国の3倍以上の総生産量になっているその理由が、途上国における20世紀後半からの「人口爆発」だということも要チェックです。
食生活の変化、エネルギー需要の増大と反比例するような新規油田の発見の減少――など。因果関係を考えつつ資料を読み直しておいてください。それでは、また。
2005年5月13日(金) 前期第4回講義
今日は『地球白書2005-06』(家の光協会、2005年)の第2章「増加する人口、失業、エイズ、資源戦争、環境難民」を考察しました。
特に「生産年齢人口」「従属人口」などといった人口構造にかんする用語が出てきていることに注意をしてください。今回のこの最新版の『地球白書』では、暴力と武力紛争に陥りやすい国をCIAが研究した結果、国家秩序の崩壊の予兆となりうる要因として「人口構造の劇的な変化」が挙げられていることをよく理解しておいてください。たとえ人口が増えてもHIVポジティブが増加してしまえば、その国家は最終的に厚みのある弾力的な生産年齢人口は望めないことになるからです。
チェックしておいてほしい箇所を再び押さえて、国家秩序の安定と人口の関係を考え直しておいてください。それでは、また。
2005年5月20日(金) 前期第5回講義
世界の人口問題を理解するために、数回に分けて『世界人口白書2004』(国連人口基金)を検討していくことにします。
今日お配りした資料はその「第1章」と、国連人口基金の東京事務所のHPからダウンロードしたものです(<www.unfpa.or.jp>)。
第1章では1994年にカイロで開催された国際人口開発会議(ICPD)で採択されたICPD行動計画の評価・修正の必要性が提示されています。注目しておくべき点は、このカイロ会議においてはじめて「女性のエンパワーメント」とともに、「リプロダクティブ・ライツ/ヘルス」という考え方が人口対策として登場してきたということです。
この「リプロダクティブ・ライツ/ヘルス」については国連人口基金の東京事務所のHPの資料の方が平易に書かれているのでわかりやすいかと思います。またこのHPには「人口問題」とはどのような問題をいうのかについても解説が加えられています。「人口問題=人口爆発」ではなく、人口の少子化傾向、高齢化、労働人口の減少、社会保障負担の増加など、こういった問題をすべて含むのが人口問題なのであると主張されています。
「女性のエンパワーメント」「リプロダクティブ・ライツ/ヘルス」という人口対策は非常に気の遠くなるようなものです。そもそも人口問題に即時的にかつ劇的に解決策を生みだすような治療法はないのです。子供を産むということが、カップル間で決定すべき事項なのであって、国家が強制的に指示するべき事項ではないからです。
このようなことも考えながら、人口対策の現状を考察していきましょう。それでは、また。
2005年5月27日(金) 前期第6回講義
先週に引き続き『世界人口白書2004』の「第2章人口と貧困」「第3章人口と環境」を検討しました。
人口と貧困については、以前考察した『地球白書』においてもその強い関連性が指摘されていたことを思い出しておいてください。また、カイロ会議以降の人口会議においても、貧困対策が人口対策のひとつとして取り上げられていることにも注意しておいてください。
途中「人口転換」という言葉が出てきましたが、それは「高出生率・高死亡率」の傾向にあった人口が、途中「死亡率の低下」「出生率の低下」を経て、「低出生率・低死亡率」へと転換することを指します。これには女性の社会進出や医療技術の向上などが背景にあります。
人口と環境の関連性については、最近では「環境の足跡(environmental footprint)」という考え方で提示されることが多くなっていること、南太平洋諸島地域の国際会議場での発言が強くなっているという現状も合わせて考察しておいてください。
それでは、また。
2005年6月3日(金) 前期第7回講義
日本も位置するアジアの環境問題の現状はどうなっているのでしょうか。『アジア環境白書2003/04』(東洋経済新報社、2003年)を参考にして考えてみましょう。
押さえておいてほしいことは、アジアでは人口増と食生活の変化にともない食糧需要も増大をしてきているということです。当然この変化は農業にも大きな影響を及ぼし、そして農業は環境問題を引き起こしていきます。
取り上げられているように、1)農地や水資源を限界までの利用、2)近代的農業技術(高収量品種と化学肥料の使用、灌漑面積の拡大)の普及、3)農産物貿易を通じた物質循環の国際化――の3つの側面から農業は環境問題を引き起こしているといいます。2)に関連しては、「緑の革命」の功罪でもありますから、注意しておいてください。
またアジアでは輸出向けの商品生産の拡大もおこっていますが、特にタイを中心とするエビ、中国を中心とするウナギの養殖が、「青の革命」と呼ばれる集約的な養殖技術を促進してきたことも環境問題につながっていくことも見逃してはなりません。エビもウナギも日本人の大好物です。化学薬品が大量投与されて高収量化がはかられている背景をわたしたちはどれだけ知っているでしょうか。
それでは、また。
2005年6月10日(金) 前期第8回講義
今日はこれまでの講義の理解をうながす意味で小テストを行いました。問題は「環境問題を考察する上で重要な観点について、最低1つに事例を挙げながら解説しなさい」でした。
人口問題、資源(食糧)問題、環境問題――この3つの問題はトライアングルで捉えられなければならないということを事例を挙げて説明をしてもらえれば結構でした。しかし、実はこの問題はあまり易しいものではありません。トライアングルすべてに関わっている事例の考察は容易ではないからです。日頃からの関心がこういう問題には生かされてくると思います。
それでは、また。
2005年6月17日(金) 前期第9回講義
今日は新聞記事から、身近な環境問題を考えていくことにしましょう。
一つは「三者三論 クールビズ定着するか」(朝日新聞2005年6月10日付)。あとの二つは水資源に関連して「干ばつ・洪水 水の世紀 温暖化2.7度――大河流量激変の予測」(朝日新聞2005年5月13日付)、「岐路のアジア7 都市と水 人口集中 水に悩む」(朝日新聞2005年5月28日付)でした。
最初の記事はクールビスに関する三人の意見に、最近の意見がすべて集約されているように思われます。特にびわこ銀行頭取の意見は、クールビス賛成派の代表的な意見です。あとの二人は服飾文化が政府主導であっけなく行われようとしていることに胡散臭さを感じています。みなさんはどう考えますか。
残り二つの記事は、これまで講義でみてきたように、水資源についての環境問題をトライアングルで読み解くことができる実例です。特に「岐路のアジア」という特集では、都市に人口が集中する事態が進展するほど都市はスラム化し、貧困に拍車がかかる。水という資源を確保するのも大変になり、衛生的な水環境を保持することのできる人とそうでない人との格差も広がる。わたしたちはアジアのこの事態から目を背けてはいけないと思われます。よく考えてみてください。それでは、また。
2005年6月24日(金) 前期第10回講義
今日は環境問題を少しでも解決するためには、どのような経済をわたしたちは営んでいったらいいのか、について示唆的な本を読みました。お配りした資料は、レスター・ブラウン『エコ・エコノミー』(家の光協会、2002年)の第4章「人類の挑戦、エコ・エコノミー」でした。
これを読むとわかるように、レスター・ブラウンは「エコ・エコノミー」は生態学を重視した経済でなければならないことを力説しています。具体的に表4-1、4-2、4-3において、エコ・エコノミーに重点をおく産業等が挙げられていますから、幾分イメージをしやすいかと思われます。ただし、まだこの時点ではレスター・ブラウン自身かっちりとエコ・エコノミー構想を作り上げていたようにはみえません。この本以後精力的にエコ・エコノミーについての作品を書き続けていますから、この他のものも読まれてみてください。
それでは、また。
2005年7月1日(金) 前期第11回講義
今日は環境会議とそこで提示される対策・行動計画にかんする、これまでの流れをみてきました。特に地球環境問題が国際政治の前面に押し出されるようになった時期、「持続可能な開発」という言葉に隠された先進国・途上国双方の思惑、京都議定書の内容などについては、しっかり押さえておいてください。京都議定書のその後については、単に批准されたという以上に問題点も存在しますから、気をつけておいてください。それでは、また。
2005年7月8日(金) 前期第12回講義
今日はこれまでの講義を、キーワードをもとにして総括をしてきました。環境問題はいわゆる「環境問題」だけで捉えることが十分なのではなく、資源問題(食糧問題)、人口問題とトライアングルでみていく必要があることをきちんと押さえておいてください。
別の言い方をするならば、環境問題、資源問題、人口問題は複雑にからみ合いながら多くの社会問題をも引き起こすこともあるのです。この3つの問題がすでに社会問題となっているわけですが、単独で観察できる社会問題ではないことも、わたしたちは十分に認識しておく必要があると思われます。
この点についてはよくよく考えておいてください。それでは、また。
2005年7月15日(金) 前期第13回講義
今日で前期の講義は終了です。テスト問題は公開した通りですが、注意事項をきちんと踏まえてテストに臨んでください。みなさんの解答を楽しみにしています。