********
後期のメインテーマのひとつは、「共同体の崩壊と市場経済の拡大」から社会を考えてきた先人たちの思想を捉えていくことです。実はこのテーマは易しくありません。というのも、「共同体とは何か」ということを考えていかなければならないからです。この問題を解き明かすには、「共同体」は「社会」に置き換えることができるのか、人間と自然の関係をどのように考えたらいいのか、という問題も重要になってきます。すなわち共同体と自然の関係も深く考える必要が出てきます。さらにその上で、共同体と資本主義経済の併存が可能かどうかも検討しなければなりません。
まず来週からは、経済学にみる共同体観を深く検討していくことにしましょう。大塚久雄の『共同体の基礎理論』を中心にみていきます。この著作は、土地と共同体の在り方を考察したものであり、さらに突っ込んでいうと、土地をめぐる人間の所有ぐあいから共同体の在り方を決定づけようとしたものです。つまりその観点からすると、「誰が」「どのように」「土地を所有していたか」ということがポイントになってきます。また、この大塚のいう共同体の理論は、マックス・ヴェーバーとカール・マルクスの理論から強く影響を受けています。ヴェーバー、マルクス両者の理論は、後日詳しくみていくことにします。
前期は経済思想のメインストリームから外れてしまった先人たちの思想を中心に取り上げてきました。メインストリームから脱落してしまったにもかかわらず、現代社会が抱えるアポリアにも通じる大きな問題を指摘している人たちが多かったことを思い出してください。
ここで社会学説史を紐解いてみたいと思います。社会学では社会の捉え方には概ね2つあると考えられてきました。ひとつが社会実在論であり、もう一つが社会名目論です。
社会実在論とは、全体としての社会は、その構成員である諸個人には還元することができない、個人を越えたひとつの実在であるとする考えのことです。非常に簡潔に言うならば、「社会というものが存在する」という考えです。これは社会システム論の基礎となる考えでもあります。社会学説史という社会学の一領野において、後日お話しするスペンサーの社会有機体説も、この社会実在論であると考えられ分類されています。この社会実在論は、社会を捉える上では、方法論的集合主義を採るとも言われることがあります。
社会名目論とは、社会の実在を認めず、社会を構成員の諸個人の相互関係や行為に還元する考えのことです。同様に非常に簡潔に言うならば、「社会という1個の実在はなく、あるのはその構成員の相互関係と行為だけだ」とする考えです。これは(社会的)行為論の基礎となる考え方です。社会学説史上において、たとえば後日みていくヴェーバーの行為論などがここに分類されます。この社会名目論は、方法論的個人主義を採っていると言われることもあります。
19世紀半ばの社会学の黎明期において提唱されたのは、進化論というパラダイム転換を背景にして誕生した社会有機体説という社会システム論でした。しかし、時代の流れは社会を構成する各構成員の目的や行為を分析するいわゆる行為論へシフトしていくことになります。「社会があるか、ないか」という観点よりも遙かに身近に感じられる人間の行為の方に、より信憑性があると考えられたからでもあるのかもしれません。「社会」は目に見えないけれど、人間の行為は目に見えるから、ということもあったのかもしれません。人間がどんな目的をもって、どのように行為をするか、そしてその分析が結果的に人間の相互行為の総体であるとされる社会の秩序維持に役立つと考えられたからかもしれません。もちろん、そうして行為論にシフトしていった背景には、人間の経済的行為や各国経済の隆盛があることは否めません。
しかし、ここで注意をしてほしいのが、行為論で考えられている人間は、まず第一に「ある目的をもって行為する理性的な人間」が前提とされているのであって、そこには「血の通った生物としての人間」は重点的に(ほとんど)考えられてはいないということです。行為論の立場からするならば、「生きている人間」を行為の主体とすることは暗黙の了解事項として取り扱われているのかもしれません。
ではここで、経済学にみる「行為」を考えてみることにしましょう。経済学が前提にする「経済的行為」とは、非常に簡潔な言い方をすれば、人間がいかに効率的に利益・利潤をあげるかという「目的」を遂行することにかかっています。たとえ、理論上、需要と供給の関係曲線から、「こういう場合では最大利益は獲得できない」と提示されている場合でも、裏を返せばそれも利益の最大化を目的とする理論化であることがわかります。「経済的行為」は利潤最大化という「目的」に支えられています。
では、そうした目的に支えられた経済的行為の主体は誰でしょうか。それは経済学においてはまさしく「理性的な人間」です。18世紀半ばにアダム・スミスがいう「神の見えざる手」に導かれて経済的行為をするのが、この理性的な人間です。啓蒙思想、功利主義、理性主義といった近代社会の構成原理と呼ばれるものを支えて、近代社会を担ってきたのも、この理性的な人間です。理性的な人間は、本能だけに突き動かされる動物と違って、(神によって創造されたのであるし、)理性的に正しい判断と行為をする、と確信されていました。
こうした「理性的な人間」のことを、経済学においては「経済人(エコノミックアニマル)」ともいわれています。
しかし、主にアダム・スミス以来しっかりと確立した経済学において、そうした理性的な人間という経済学の前提に疑問を持つ論者もいました。それが前期にみてきたトーマス・ロバート・マルサスでした。彼は理性的な人間ばかりがいるイギリス社会では本来発生するはずのない社会問題に着目します。それが人口問題でした。18世紀末、イギリスは産業革命の成功という光の部分とはまったく逆の闇の部分にも悩まされていました。人口の増加、救貧区の増員・増加、犯罪の増加などです。まず、次世代の人間は理性以外の情念をもたないと生まれてこない。もし、人間が理性的であれば、どうしてその情念を制御して人口増加に歯止めをかけることができないのか、マルサスはこのように『人口の原理』で問題提起しました。貧困、犯罪、都市化、環境問題の悪化・・・、人口増大を根本的な原因として発生してくるさまざまな社会問題が地球上にあることは、今日の私たちならば正しく実感することができるはずです。マルサスの18世紀末に提示した問題は、いまなお生き続けているといえます。マルサスの主張は、人口問題は行為論的な発想で解くことはできるのか、と言い換えることもできます。
「目的」をもった「理性的な人間」が「経済的行為」を行う。このときの「行為」にまつわる前提は、社会学で取り上げられる人間の行為の前提と同じなのでしょうか、違うのでしょうか。
実は同じです。やはり社会学も前回に述べた通り、啓蒙思想、功利主義、理性主義の思想に積み重ねられてきた思想的な前提を背景にしているからです。特に、理性的な人間が目的をもって行為を行う理論については、経済学も多くを負っているヴェーバーが定式化しています。
では、つぎに「目的」を考えてみることにしましょう。経済学では「利潤最大化をするために」という目的が掲げられていることを述べました。その主体は「経済人/エコノミックアニマル」です。社会学の行為論では決してひとつにくくられない「〜するために」という目的が、やはり同じようにあるとヴェーバー以来考えられています。しかし、人間は必ず目的にしたがって行為をするものなのでしょうか。何気なく本能的に行ってしまう、ふとしたクセなどの行動はどうなるのでしょうか。明確な目的がなければいけないものなのでしょうか。ふとして行った行為の意味を「〜するだめだったのだ」とあとで見つけだすことも少なからずあるでしょう。あとになってその行為の意味を「〜するためだったのだ」と目的を説明することで自分自身を納得させることもあるはずです。
社会学で行為論を唱えたヴェーバーは経済学に多くを負っていた。そのヴェーバーやマルクスから大塚久男は多大な影響を受けていた。大塚の主張する共同体観も、人間の経済活動を目的と行為からみることを前提としていたことがわかります。
********
さて、経済学にみる共同体観を検討していくことにしましょう。まず一番最初にみる大塚久雄の『共同体の基礎理論』は、土地と共同体の在り方を考察したものであり、さらに突っ込んでいうと、土地をめぐる人間の所有ぐあいから共同体の在り方を決定づけようとしたものです。特にここで設定されたひとつの概念「アジア的共同体」の解釈については、後日さまざまな批判的研究がなされています。それらのうち重要なものについては、後日みていくことにします。
さて、先ほど「土地をめぐる人間の所有ぐあい」から共同体の在り方を決定づけると言いましたが、その観点からすると、「誰が」「どのように」「土地を所有していたか」ということがポイントになってきます。
大塚のいう共同体の理論は、カール・マルクスの理論から強く影響を受けています。マルクスの理論は後日もう少し詳しくみていくことにしますが、いまはこんな風に簡単に理解しておいてください。つまり、マルクスの歴史観においては、原始共同社会の中に私有財産性が発生し、その社会がやがて資本主義社会に発展していくその間には、共同体が占取する(もつ)共有地と私有地が共存しているという土地の所有形態が持続されている。こうした持続されている土地の所有形態を基盤にして成立している社会が共同体であるとみなされています。マルクスの歴史観においては、ひとつの発展図式が想定されています。それは「原始共同社会→資本主義社会→社会主義社会」というものです。
マルクス経済学を基礎とした大塚理論で追求されているのは、マルクスが構想する「原始共同社会→資本主義社会→社会主義社会」へと発展していく過程の一部分すなわち「原始共同社会→資本主義社会」過程でした。この過程において、人間によってなされた土地の占取形態が注目され、どのように共有地と私有地が共存しているかを追求したのが大塚氏の『共同体の基礎理論』でした。つまり、「共同体」とは「原始共同社会→資本主義社会」過程のうち資本主義社会に到達する直前で終焉するものだと考えられています。
共同体の土地占取状態はどのように変化していくのか。大塚の主張をみていくことにしましょう。まず、原始的な「部族共同体」の中に、「家父長制的家族共同態」が成立してくる。「宅地」の周囲にある「庭畑地」が囲い込まれ、父系制にのっとってある「家族」が永続的に私的占取をするようになる。このとき囲い込まれた土地を「ヘレディウム」と呼ぶとされています。つまり、共同体によって共有されている土地の中に私有地が発生してくる。それが「ヘレディウム」です。
「ヘレディウム」を内包する共同体の組織は、(マルクスもいう)「農業共同体(または農耕共同体)」です。
ところで、大塚によれば、土地は共同に占取するけれども、そこで使用される「労働要具」が私的使用されることがある。共同体が変遷していくあいだには、必ずこのような状態が生まれてくると指摘されています。これを大塚は「固有の二元性」と名づけています。土地の共有制の中に労働要具の私有制が溶かし込まれている状態をいいます。大塚の観点からするならば、大地の懐の中に労働要具の私有制が抱かれている、ということになります。非常に簡単にいうならば、土地の共有制と労働要具の私有制が矛盾しないのだと、土地に住む人間はそのように受け取っていたという状態を指しています。だから、「ヘレディウム」はちょうど「固有の二元性」を保持したまま存在しているということになります。
農業共同体はつぎのように共同体の在り方を3段階に発展させていくといいます。(1)アジア的形態、(2)古典古代的形態、(3)ゲルマン的形態の3つです。
ここでひとつ注意しておかなければならないのは、以下の3形態は、マルクスが「原始共同社会→資本主義社会→社会主義社会」と順次発展していくとした「発展法則」(マルクス経済学でいうならば「唯物史観」もしくは「史的唯物論」)と同様に、時間が経過すれば順次発展していくものだと考えられているということです。各特徴をみていくことにしましょう。
1)「アジア的形態」では、土地の共有制のなかには「ヘレディウム」が依然として残っており、そこで生きる人間は血縁関係にもとづく「部族共同体」であるとされています。「ヘレディウム」というのは、宅地とその周囲の庭畑を私有している形態を指すのでした。
2)「古典古代的形態」では、土地の共有制の中に「ヘレディウム」から新たに「フンドゥス」という状態が生じてきます。「フンドゥス」とは、「戦士としての市民」(公有地の防衛と獲得のために共同労働としての戦闘に参加する人間)とその家族が私的自立するためにそこで暮らす土地エリアのことです。だから、「古典古代的形態」の私有制は「ヘレディウム」と「フンドゥス」が共存する形まで拡大されていることになります。こうした土地に生きる人間は、「都市共同体」の中に生きており、たとえば、ここでは、都市国家ローマのように、貴族もあれば平民もあれば奴隷もある、と貧富の差が少しずつ出てくる状態も発生してきます。
ここで少し考えをめぐらせておいてほしいのは、「貧富の差」が出てくると考えられている社会的(人間的)な背景です。先の「アジア的形態」では、共同体に生きる人々はその能力が特化されていなかったと想像することができます。農業もできるし、採集もするし、ときには魚を獲ったりすることもある。つまり、人間が生活をする上で「万能」であったということです。
しかし、「古典古代的形態」では「戦士としての市民」が出てくる。戦士という生業に特化される人間が出てくるようになったことに注目をしてほしいと思います。戦士をきっかけに、以後さまざまな生業に特化される人間が共同体内部に発生して、その結果として貧富の差が生じ始めることになるのです。
人間の万能性の喪失が顕著になったのは、イギリスで産業革命が成功した近代社会です。しかし容易に想像がつくのは、近代社会になってある日突然、人間が万能性を喪失したわけではないということです。いつ頃からその兆候が見られることになったのか。大塚氏はそれを「古典古代的形態」だと主張していたようです。
3)「ゲルマン的形態」では、土地の私有制が「フーフェ」という形まで拡大してきます。「フーフェ」とは、「村落共同体」によって共同に占取された土地が、その内部で各農民の家長によって、すべて私的に占取、所有、相続されていく土地の所有形態のことをいいます。だから、「ゲルマン的形態」においては、共同地でさえも農家の家長によって持分化されており、村落共同体の中からしだいに商品経済、貨幣経済が発展しはじめると考えられています。
「フーフェ」という形態にまで拡大した私有制は、封建制度を思い出してもらえるといいでしょう。マルク・ブロックの名著に『封建社会』がありますが、この著書については後日「社会学にみる共同体観」を解説するときに合わせてみていく予定です。前もって深く知りたい人は、翻訳書もありますからお読みになってみてください。
以上のような共同体の3形態を経て、資本主義社会に到達すると大塚氏は主張しています。先にも言いましたように、共同体が終焉すると同時に資本主義社会に発展する、言い換えるならば資本主義社会には、共有地が前提となって、共有地と私有地が慣習的に混在している共同体という形態は消滅しないと到達することができないことになります。
人間が生きていく上で絶対的に必要な土地の占取形態から、人間の生きている状態「共同体」を追求しようとした大塚氏の観点は非常に有益なものであることがわかります。
********
「共同体」というと(たとえ批判的見地から論じていたとしても)必ずといっていいほど大塚理論が踏まえられていることからするならば、経済学ではいまなお『共同体の基礎理論』を大前提とした共同体観がとられていることがわかります。すなわち、経済学にみる共同体観には、人間が何らかの形で集団で生活をしていて、やがて時間が経過すれば、必ず資本主義化すると前提がおかれており、その資本主義の開始と同時に終焉するのが「共同体」であると考えられています。言い換えるならば、資本主義をとる社会形態以前の状態が「共同体」なのです。というのも、大塚理論に照らすならば、資本主義の大前提である私有財産制(または私的所有制)が確立し、金銭の多寡によって土地を完全私有することができるようになれば、共有地と私有地の差異は制度によって明確に確立し、人間が慣習として土地を使用したり相続していたりするという曖昧な状態はなくなるからです。私有財産制が、慣習を基礎として人間が集団で生きている状態に外挿された結果、その慣習を基礎とする社会状態が人間集団から必要とされなくなったのが「共同体」なのです。さらに言い換えるならば、私有財産制を確立させた人間の社会状態(すなわち資本主義社会)の方が、私有財産制の確立されていない、経済学のいう「共同体」よりもより発展している状態であると考えられていたのです。
経済学では、こうした「共同体」の中で人々がどのように結びつきをもって暮らしていたのかについてはほとんど言及されていません。
さて今日はまず「原始共同社会→資本主義社会→社会主義社会」「アジア的形態→古典古代的形態→ゲルマン的形態」というように、大塚久雄が提示した発展法則にしたがって社会形態が進展していくとした進歩観と、以前解説した私たちが日常的に使用している進化観ならびに今日の生物学的知見である中立説にみる進化観を比較してみることにしましょう。
マルクス経済学や大塚氏の理論の根底に流れる進歩観は、まさに私たちが気づかないうちに当たり前のように用いてしまっている進化観とそっくりであることがわかります。今日言われるところのいわゆる「進化」と、ある地域にできた共同体の時系列的なモデルは、ともに必ず右肩上がりの線形を描きながら「発展」していくと考えられていたからです。こうした発展史観はこの他にも、たとえば人類の歴史が「狩猟採集生活→定住農耕生活」という経過をへると解説される時の根底にもあることが思い起こされるでしょう。
しかし、「狩猟採集生活→定住農耕生活」という発展経過を、人類はすべてとったのでしょうか。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』では、およそ1万1000年ほど前から人類は世界各地にポツポツと文明を築き始めたが、それがすべて「狩猟採集生活→定住農耕生活」という経過をへたわけではないと主張されています。たとえば肥沃な土地に住む人間の集落は、別に定期的に農作物を耕作・収穫して集落全体を養っていく必要はなかったのではないかというのです。定住農耕生活は肥沃な土地で常に人間が食べるにことかかないほど野生種の植物が実をつけることのない地域でこそ、進展していったのではないかというのです。つまり、もともと肥沃な土地の集落では、栽培種を人間が育種する必要もなく、あえて定住農耕生活へその生活形態を変えることも必要なかった。狩猟採集生活にとどまることもあったのだ、というのです。
すべての人間集落が「狩猟採集生活→定住農耕生活」へと発展経過をとるのではなく、狩猟採集生活にとどまり続けることもあったというジャレド・ダイアモンドの主張と、大塚氏の理論は大きく異なります。とくに「アジア的形態」が必ず一様に「古典古代的形態」に進展する、とした部分に後世批判が生じることになりました。アンソニー・リード『大航海時代の東南アジア』TU(法政大学出版局)でも明らかにされているように、香辛料貿易で一度は世界貿易の表舞台に立った東南アジアは、一気かつ一様に大塚氏のいうところの「古典古代的形態」へと進展していくかのような情勢に追い込まれるのですが、結局のところはそれを拒否して独自の文明・生活文化を維持することを選択するのです。つまり、大塚氏のいう「アジア的形態」はその後多様に進展していくことが一切想定されていなかったのです。
もうひとつ、たとえば「狩猟採集生活→定住農耕生活」へと発展していくとした際の、そうした発展の「推進力」が何であったか、という問題も喚起しておきたいと思います。先のダイアモンドの著書では、気候の変化と人口の増加が大きな推進力となっていたと述べられています。しかし、大塚久雄の『共同体の基礎理論』には、集落外部の影響力である気候の変化はもちろん、集落内部から発生し、集落全体に影響力を及ぼしかねない人口の増加についてふれられているところは皆無です。それはなぜなのでしょうか。マルクス経済学では社会内部の人口増加はどのようにとらえられていたのでしょうか。
大塚理論の中ではほとんどふれられることのなかった、ひとつの共同体の形態を別の形態に発展させていく「推進力」が何であるかという問題は、実はマルクス経済学において社会内部の人口増加がどのように考えられていたのかを考えてみると明確になってきます。そこで、マルクスが大いに批判した経済学者の人口についての重要な考え方からマルクスの人口観をあぶり出していくことにしましょう。
前期にも解説したように、18世紀末に『人口の原理』を著し、人口と食糧のアンバランスを問題視したイギリスの経済学者にトーマス・ロバート・マルサスがいました。マルサスは、産業革命が引き金となって、人口が徐々に増加し始めていたイギリス社会を考察し、人口増加にともなう社会問題の発生として貧困と犯罪の増加を指摘しました。資本主義経済が進展していけばいくほど、いまでいう「勝ち組」と「負け組」にはっきり分かれてきます。資本家の中でも勝ち組がいれば、負け組もいる。労働者も同様です。特に労働者の負け組は、教会が中心となった教区の中に設置される「救貧区」に収容され、国から援助を受けるようになっていくこともありました。当時のイギリスでは、人口増加につれて、この救貧区も満杯状態になっていたのです。
また人口増加が犯罪を増発させるということも、ロンドンの都市化に注目すると容易にわかると思います。都市化の進展は、社会における貧困層の発生と平行して、スラム街も同時に発生させるからです。そのスラム街では犯罪が日常的に横行するようになってしまうのです。
問題は、人口増加が貧困と犯罪を増加させ、そうした社会問題が収束することなくさらに人口が発生するという悪循環を招来するということです。救貧区には男も女も収容されていましたから、当然そこでカップルになるケースも出てくる。国から援助されてかろうじて生活している人たちも、何も生産しないかわりに子供を作ることも多かったのです。また犯罪も同様で、都市から都市に渡り歩く行商人が、行く先々で性的問題を起こして子供を作ってしまうこともあったのです。
マルサスが指摘した人口問題は、これだけにとどまりません。前期にもお話しした1815年ぐらいから始まった穀物法論争をみていくとさらに明確になります。マルサスは穀物法擁護派であり、マルサスの論敵であったデイヴィッド・リカードは穀物法反対派でした。ちなみに、この穀物法は改正を経て1846年に撤廃されています。
穀物法論争がイギリスで起こった背景には、ナポレオン戦争(1804〜14年)における大陸封鎖政策がありました。この政策は、フランスがイギリスの国力に打撃を与えるために一切の通商を断絶した政策であり、それによって、当時怒濤のごとく資本主義化を進展させていたイギリスは大打撃を受けることになりました。イギリスがフランスとの通商を断絶されて困るのは主に小麦の輸入でした。当時イギリスはすでに工業国化を邁進させていましたから、主食の小麦は輸入に依存するようになっていたからです。大陸封鎖とほど時期を同じくして発生した国内の4年連続の不作のために、イギリスでは小麦粉の値段(穀物価格)が2倍近くまで高騰し(1812年頃)、その直後今度は農業資本を投下する政策も合わせてとったために、穀物価格が暴落することになってしまいました(1814年頃)。1815年には恐慌が発生したのですが、1815年に穀物法は改正され、強行に試行されることになってしまいます。
マルサスをはじめとする穀物法賛成派の主張は、穀物価格の低下が、国内農業の疲弊を招き、工業製品への需要さえも減少させる、というところにありました。これに対し、リカードをはじめとする穀物法反対派の主張は、穀物価格の低下が、賃金の低下、資本家の利潤の増大、国内に資本の蓄積を進展させ、社会的に雇用が増大し、労働者の賃金も上昇する、という図式に象徴されます。リカードの主張は、工業国であるイギリスは工業製品だけを作り続け、農業国は農業製品だけを作り続け、工業国は農業国から食糧を輸入すればいい、という考えに支えられています。しかしここで考えてみてください。このリカードの考えには、「労働者の数が増加する」という発想が一切入っていないのです。増加しつづける労働者にも、理論通りに国内に蓄積された利潤がプラスされた賃金を払い続けることができると予想されていたのです。
歴史を紐解くならば、イギリスはマルサスが懸念した人口問題を無視して、リカードの主張する経済理論を全面的に支持し、一気に工業化を推し進めることになりました。確かに当時はまだ労働者の人口増加をカバーするだけの生産性の増加を、イギリス自体がまだ保持していられたのです。ここでマルクス経済学がマルサスを批判した理由が浮上してきます。マルクスはリカード同様、国内の生産力がアップすれば、人口増加をカバーすることができると確信していたのです。だからマルサスの理論を批判したのです。大塚理論の中に「人口」という要件が共同体の発展図式の中に一切組み込まれていない理由もそのためです。けれど、リカードの理論には、玉突き状態で連鎖的に工業国の飛び火と工業国圏の拡大を招来し、最終的に工業国に農業製品を輸出する農業国が地球上からなくなってしまうことにもなりかねないという理論矛盾も内包しているのです。現在、先進国に農業製品を輸出する東南アジアを中心とする途上国が工業化をより進展させることになったら――。日本の将来はどうなるのか。13億ともいわれる人口を抱え、農業製品を多く輸出している中国が本格的に工業化をするようになったらどうなるのか――。こんなことを考えてみると切実にこの人口問題を捉えてもらえるのではないでしょうか。
現代社会において人口問題ほど重要な問題はありません。人口問題がすべての社会問題に多大な影響を及ぼしているといっても過言ではありません。人口問題がアポリア(最難問)であると言われているのはそのためです。『地球白書』でおなじみのワールド・ウオッチ研究所を設立したレスター・ブラウンも注目しているように、マルサスの論理はいまの私たちの時代を予見するかのような重要性をもったものだったのです。マルサスの論理では、人間が生きているということはどういうことか、ということを「生物学的な人間」の側面からも捉えられていたからこそ、人間が集団で生きる状態の将来像も正しく見通すことができたのです。そもそもリカードやマルクスら経済学者が想定していたような、「理性的な人間」だけから成る集団であったならば、人口問題は社会問題をまき散らして増加することなく、理性的にすべて回避することができたはずなのです。
「共同体」には、大塚理論では共有地と私有地が共存している状態であれ、人間が集団として生きているのはまず間違いありません。そうであるならば、「共同体」の変遷にはどんな形態がその過程として登場してくるのであれ、人口が大きく作用していることも間違いないのです。
ところで、大塚理論における「共同体」の初期形態は「アジア的形態」でした。アジアという地域に特異的にみられる土地の占有状態を象徴してつけられた形態名だったわけですが、後世、この「アジア的形態」に関しては数多くの批判が寄せられることになりました。
大塚久雄も踏襲したマルクスの歴史観では、「アジア的形態」にある地域もやがてかならず資本主義社会に発展していくと考えられています。いまだ資本主義経済をとっていない地域は、それこそいまでいう「(資本主義経済に移行する、先進国に到達するまでの)発展途上国」だとみなされているわけです。そうであるならば、「アジア的形態」のままで人間が生活を営んでいる状態は、単なる一過性のものなのか、その状態は必ず「発展」しなければならないのか、資本主義経済に発展する以前の段階で「アジア的形態」にヴァリエーションが生じて多様化することはないのか、という重大な問題が発生してきます。
「アジア的形態」にヴァリエーションが生じて多様化し、各地域で人間がさまざまな文化を営んでいた、という事例は、『大航海時代の東南アジア』T、U(法政大学出版局)を読めばよく理解することができるはずです。
大航海時代に東南アジア地域は胡椒を中心とした香辛料の貿易によって、当時の先進国であったポルトガルやスペインという大国の巨大な経済システムに巻き込まれそうになる。もちろん胡椒という特産品は東南アジアなくして産出されていなかったわけですから、少なからず貿易をしていたわけで、ある一時期は大国の特異的な経済システムの一翼を担っていたわけです。「特異的な」というのは、胡椒という奢侈品や貴重品の貿易であって、日常的な必需品ではなかった、ということです。ここが大きなポイントになってきます。奢侈品である胡椒がなくても、大国の人間は生活していくことができる。だから、東南アジア地域は「完全に」大国の経済システムに巻き込まれずに済んだのです。自ら各地域の王が交易を断ることが可能であり、東南アジア地域は西欧の大国の文化に汚染される前に、独自の文化を守り通すことができたのです。詳しい経緯やどんな文化が維持されていったのか、についてはぜひ『大航海時代の東南アジア』を読んでみてください。
「アジア的形態」に象徴される地域は、他の資本主義経済システムにとってどのような意味があるのか、について追求する研究も出てきています。つまり、各地域がすべてマルクス経済学がいうように発展していくのではなく、「世界システム」の観点からみると「発展していない」地域もそれなりに意味があるのだという解釈です。もっと言い換えるならば、「世界システム」は、資本主義経済を担う地域だけで中心的に推し進めているのではなく、さまざまな資本主義経済もしくは資本主義経済への移行過程段階にある国家があって、はじめて推進されるのだという解釈です。
この「世界システム」の観点を中心的に提唱しているのは、イマニュエル・ウォーラーステインです。アメリカの社会学者・歴史学者です。ウォーラーステインの主張は、一国の国民経済はそこで完結するのではなく、その枠を超えて「世界経済」に取り込まれているということにあります。ウォーラーステインの「世界経済」は3つの構成要素地域があります。それは「中核」「半辺境」「辺境」です。たとえば16世紀には「ヨーロッパ世界経済」ともいうべき世界経済システムが完成しており、中核地域は西欧諸国、辺境地域は地中海地方、辺境地域は東欧と新世界――それぞれがこの経済システムを担っていました。この時期、アジアは3つの地域に組み込まれない「外部」地域でした。ウォーラーステインの主張では、この3つの地域が分業体制で世界経済を進展させていたのです。
たとえば1750年から1800年にかけてのイギリスを中心とした産業資本主義時代になると、この「ヨーロッパ世界経済」は拡大路線をとるようになります。ウォーラーステインによると、この時期は「中核」は西欧諸国――それもオランダ、フランスにかわってイギリスだけが台頭してきた――であることに変わりはありませんが、その他の地域が変動をすることになります。それまで「外部」地域だったアジア、アフリカ、トルコなどが「辺境」として組み込まれるようになる。ラテン・アメリカ各国が独立して「辺境」となり、ロシアは国家的機構が強い上に、もともと工業もそれなりに進展していたので「半辺境」となっていたのです。
ウォーラーステイン自身が繰り返しているように、彼はマルクス経済学に多くを負っています。しかし、この「世界システム」の考え方は、「辺境」「外部」地域がすべて「中核」と同じように進展していくことは想定されていません。むしろ、「辺境」「外部」地域が「中核」とは異なる役割を分業することができたからこそ、「中核」が資本主義経済を大いに進展させることができたのだ、と想定されていることがわかります。これも大塚理論の「アジア的形態」解釈に対するひとつの批判であることがわかります。
********
M.ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』も合わせて、共同体における倫理を考えてみることにしましょう。
この『プロ倫』で注目をしなければならないのは、当時ドイツが切実に必要とした「資本主義の精神」の成り立ちを、宗教――「禁欲」、「勤勉」、「救済信仰」――と絡めて論じられているということです。お配りした資料も、『プロ倫』の一部分にしかすぎず、また内容も難しかったかもしれません。が、深く読み込んでいってほしいと思います。
ヴェーバーがこの論考を公刊したのは、社会学の黎明期を少し過ぎたあたりの時代です。黎明期に活躍したコントとスペンサーが、単なる思いつきではなく社会学を構想したのは、近代社会にフランスもイギリスも突入して、近代以前の社会との変質を目の当たりにしたからです。とくにスペンサーの著作ではいたるところで、イギリス社会の変質を詳細に記すと同時に、それに対する懸念が出されていました。「このまま近代化が進展していって、人間は大丈夫なのか」。スペンサーの著書を読むと、このような不安を彼が抱いていたことがわかります。しかし、ヴェーバーはドイツ人です。イギリスに遅れて、近代化を急速に推し進めようとする国内的な事情をもっていたドイツでは、ヴェーバーのいう「資本主義の精神」が早く培われるために、宗教と経済がある意味結託する必要があったはずです。「禁欲」をして「勤勉」に励み、労働をすれば「死後に救われる」という「救済信仰」は、それが資本主義の原動力になることは知らずとも、一般民衆には受け入れられやすいはずです。
このヴェーバーのいうプロテスタンティズムの「倫理」は、明らかに民衆の社会に外側から外挿されたものです。それは、法律や制度という形態を取らずに、「宗教」という、一見人々の心の中からわき上がり、必要とされるかのように見える形態をとっています。ヴェーバーのいう「倫理」も近代社会以降の、近代化の原動力としての機能を背負わされたものであったといえます。わたしたちが考えるべき「共同体」の「倫理」であるのかどうか、各自よく考えてみてください。
********
ソースタイン・ヴェブレン(1857-1929)の思想をみていくことにしましょう。
著名な作品に『有閑階級の理論』(1899)があります。お配りした資料はその第4章全部でした。この章のタイトルは「見せびらかしの消費(conspicuous consumption)」。『有閑階級の理論』の中で、もっとも有名なキーワードがこれです。
「見せびらかしの消費」とは、アメリカという近代社会に特異な消費形態のことです。ヴェブレンが活躍した19世紀半ば以降のアメリカは、イギリスやフランスに遅れて工業化を急ピッチで推進してきたために、国内に、特殊な消費感覚をもつ人間を産出するようになっていました。自分がいかに金をもち裕福であるのかを他人に見せびらかすために、消費をしつづけていく。それも裕福である成り上がり者自身だけでなく、その家族や召使いなど、彼に関わる人間たちに高価な洋服や装飾品を着飾らせ、そのことが、めぐりめぐって最終的に彼が裕福であることを周囲の他人に知らしめていく。そのための消費が「見せびらかしの消費」でした。
もしも経済の隆盛に何の疑問ももたないような経済学者であれば、国内に見え隠れする特異な消費の形態などに注目することもなかったでしょう。ヴェブレンはノルウェー系の移民の子として、アメリカ社会を見てきたから、こうした特異な消費の形態を見つめることができたのかもしれません。
********
ヴェブレンは制度派経済学の始祖と言われたり、また最近では進化論的経済学・進化経済学の提唱者ともみなされています。自らの生きた時代のアメリカ経済について直接言及するような著書も多く書かれています。しかし、いわゆる経済学者と一言でくくっていいような論理を、彼は提唱してきたわけではありませんでした。そのひとつが『有閑階級の理論』でした。
ヴェブレンは晩年に『職人かたぎ』(1914)を発表しています。この著作は、職人による手工業から大規模な工場制工業へ、その生産形態が進展するにつれて職人集団が解体したことだけを指摘したものではありません。近代社会における産業の進展にともない、「職人かたぎ」が必要とされなくなってしまった事実を通し、職人に代表される、近代の人間とものとのつながりが喪失してしまったことが指摘されています。
人間と「ものとのつながり(ownership)」というと、何を思い浮かべるでしょうか。通常「ownership」というと「所有制」「所有権」という術語があてられます。しかし近代人の土地に対する「ownership」と、未開人のそれとでは異なるのではないでしょうか。前者のものは、人間の土地との結びつきを「権利」で確保しようとするものです。いわゆる私的所有権がそれです。しかし、未開人にはそれはありません。必要なかったということもできます。
職人は、大量生産・大量消費をよしとする経済状態の中では、その存在意義を認めてもらうことが少なくなるのはいうまでもないでしょう。安価な工場制商品が多く流通し、安価だという理由だけで人間が製品を購入することになれば、手間暇がかかった職人技のいきた製品は売れなくなってしまうからです。ヴェブレンはそういう社会背景も、人間の精神にも影響を及ぼしていると考察していました。
生産性や経済性だけが高まればいいと考えている経済学者であれば、このように人間の精神の変化に目を向けることはなかったのではないでしょうか。
********
まず「合理性」の話からしましょう。
みなさんに書いてもらった宿題は、「合理性とは何か」「合理性(合理的な行為)が必要なときはどんなときか」というものでした。それと同じように、「論理的」とは何でしょうか。
「合理化」「合理性」という言葉は辞書的にはつぎのように説明されています。
合理化:ある特定の観点から見て矛盾することがないように、推理的理性に即して整序・首尾一貫化されること。
合理性:合理化される過程および状態。合理化ということばの多様性に応じて、論理的首尾一貫性、科学的認識への適合性、目的=手段の関係の整合性、行為の計画性ないし能率性など、重要視される属性はさまざま。
ヴィルフレート・パレート(1848-1923)の思想をみていくことにしましょう。パレートは最適均衡理論(パレート最適)の理論構築で著名です。経済循環を合理的に特定化するこの理論は、人間が合理性にもとづき経済行為をすることが前提になっているものです。これはパレートだけではなく、経済理論に前提とされている人間はみなこれが前提となっているはずです。
しかし、パレートは経済学の領域から社会学の領域へ、その研究をシフトするや、講義でも解説したきたように「残基と派生体」「論理的行為と非論理的行為」「エリートの周流による歴史モデル」といった、人間の合理的行為への懐疑を提示する論理を展開していきます。「残基」は、人間の行為を合理化する言説・主張(派生体)ではなく、感情や本能など、行為の奥底に潜んでいるものでした。また人間の行為のうち、「非論理的行為」は「論理的行為」よりも比重が高く、変化しにくいものでした。「残基」も「非論理的行為」もともに、経済理論に前提とされている人間の合理的行為の論理からだけでは見えてくることのないものです。
********
経済学(理論)のメインストリームにおける大きな特徴のひとつには、「人間の経済行為・活動に法則性が存在する」「経済現象に法則性が存在する」との確信が存在しているように思われます。合理性にもとづいて人間は行為する――。このような言い方をするのもメインストリームの特徴だったことを思い起こしておきましょう。
今日は「法則」「法則性」ということについて考えてみましょう。
ロックは人間には一切の生まれながらにしてもつ生得観念はなく、経験こそが人間の認識を全面的に支持するとしました。経験を感覚や内観を通すことによって観念として受容し、判断を下すのが悟性でした。カントは人間が自然法則を悟性によって確実に把握することが可能であるとしました。
科学とは、決して主観だけでは成立しえない領野です。実験・観察によって対象の客観化、普遍化が絶対とされる領野であるということもできます。その科学に必要なのは、観察者が対象を観察し、客観化し、理論づけ、それらがすべて経験的データに拠ることです。
新カント派は、カントが奇妙な形で決着をつけてしまった論理に対抗し、科学を二つに分けようとしました。「法則定立的な自然科学」と「個性記述的な歴史科学」がそれです。前者は、無限に反復する恒常不変性を特徴とし、後者は、ただ一回限りの限定性を特徴としています。そもそも新カント派は、歴史は経験科学として把握が可能かどうかを追究していたので、自然科学と歴史科学が異なる法則性にもとづくものであると主張しなければならなかったのです。この意味で、新カント派はカントのように容易に決着をつけることができなかったのです。つまり、新カント派の問題提起は、自然法則と歴史法則のそれぞれの法則性が質的にまったく異なるものであることを明らかにし、両者を切り離すことだったといえます。
新カント派のあとで登場してくるのが、ヴェーバーです。ヴェーバーは人間の行為を理論化することで、歴史科学ではなく社会科学を「科学」として確立することに心を砕くことになります。ヴェーバーが注目したのは、目的と手段に則ることができるとみなした人間の行為でした。ヴェーバーは経済学の領域に対してもこの論理を適用していましたから、大きな意味で文化科学という領野において、ロックに端を発する「法則性」の確立への探求は、人間の行為の理論化という形で決着をつけられたことになります。
しかしヴェブレンやパレートは、そうした決着のつけ方に、人間の行為はそのような形で理論化はできないのだと異議を唱えていたと考えることができます。だから彼らは経済学のメインストリームから外れてしまうような論理を提示していたのではなかったのではないでしょうか。