『貨幣の哲学』(1901)
ゲオルク・ジンメル


純粋な知性や貨幣の流通について言えることでもあるが、単に法という形式一般だけでなく、法の「平等性」という原理そのものが、これら〔純粋知性と貨幣という〕二つとまったく同様に事実上も道徳上も、邪悪きわまる内容を含むことを避けることができないのである。なぜなら、とりわけこの〔法の平等性という〕原理においてこそ、形式と現実の内容との間の矛盾が頂点に達するからである。

法、知性、貨幣という三つは、すべて個性に対する無関心という特徴を共有している。これらの三つは生の営みの全体性の中から、抽象的で普遍的な要因を抽出するものであり、こうして抽出された要因は自己に固有の、独立した規則に従って自己増殖し、やがては人間的関心の全体性に干渉し、それを(逆に)自分の方に従属させるようになる。

その意味でこれら三つのすべては、〔人間的な〕内容という、三者の本質にとってはどうでもよいものに対して強制的に形式と方向づけとを与え、その結果不可避的に、生の全体性の中に矛盾を持ち込む。

平等が人間の間の関係の形式的基盤となるとき、この基盤は人間ひとりひとりがもともとまったく等しくない存在だということを、先鋭かつ効果的に暴露する手段になってしまう。利己主義は、この形式的平等という制約の中に閉じこめられることによってさまざまな内発的・外発的障害物と折り合いを付けるのだが、同時にこの〔平等という〕原則がもつ普遍妥当性それ自体が、まさにこれが万人に奉仕するものであるという理由からして、逆に万人に対して向けることができる利己主義の武器にもなるのである。

(〔..〕および空白行は訳者による付加)
 
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Hideaki HIRANO: hhirano@mt.tama.hosei.ac.jp