マナーがよい人といわれるための競争が必要な社会状態になると、礼儀作法を身につけるためにたいへんな犠牲が払われるようになる。礼儀作法の1つ1つが寄り集まって学問になり、他人から悪い評判を立てられたくない者は誰でも、有無をいわさずそれに従うことを要求される。さらにその結果、こうした作法を目的とする「見せびらかしのレジャー」が人間の立ち居振る舞いの学習マニュアルになり、趣味の教育になり、どんなものを消費すれば作法にかなっているかというノーハウとなって広がる。
....近代産業制度の必要が、わたしたち個人や家族を、なにも接触の必然性がないただの偶然でしかない他人と隣人同士にする。だからだれかに隣人がいるといっても、それは厳密にいうと社会的に隣人とはいえないどころか知人でさえないのだが、それでいながらそんな他人が気まぐれでもいいからよい評判を立ててくれることは、たいへん大きな効用がある。日常生活の中で遭遇するこの種の気まぐれな観察者に自分の財政が裕福だと印象づける唯一の手段は、これでもかこれでもかと金を払ってみせることである。
近代社会では、日常生活では顔見知りでない人々と大きな会合で顔を合わせる機会がしばしばある。教会、劇場、舞踏場、ホテル、公園、ショッピングなどで。そのような機会に、こうした気まぐれな他人でしかない観察者を感心させて自己満足を得るためには、その場を仕切る人間に見まちがう余地がないようにはっきりと見せびらかす必要がある。こうして、現代の発展のトレンドが余暇よりも「見せびらかしの消費」の方をいっそう効果が高いといわせる方向に向かっていることは明白なことだ。