忍耐の限度に達したアメリカ在住人類による
マスメディアへの「独立宣言」(2*)
メディア史の過程において、民衆が芬々たる商業主義の悪臭にたいし「嫌だ、失せろ!」と表明し、あらゆる人権に加え、公共メディアに対する天与の人権を回復せざるの止むなきにいたった時、世界の与論にたいし、われらが何故にこの偉大にして光栄ある拒絶を表明するに至ったか、その理由を開示すべく宣言を発することが、われらの義務となる。
われらは以下の真理を自明と見なす。
とはいえ、間断ない濫用と収奪の嵐が民主主義の原理を嘲笑し、ついに民衆の自由かつ公開の討議を空虚な数字の羅列と化したときは、この虚飾の舞台をかなぐり捨て、新たに民衆の精神の福利に対する保障を樹立することが、人間の権利かつ義務であるとしなければならない。
われらのコミュニケーションに腐敗が存在する。公衆の対話の現状を一新すべしとの要請が、われらを動かして止まぬ。この土地のメディア史の特異性、とりわけ既得権益の巣窟を利すためわれらの認知を悪用し汚辱する、宣伝その他の「追従製造装置のプロ」を生み出した特異性は、公共財に対する間断ない侵害と略取との歴史に他ならない。世界にこれを証するには、事実をもって世に訴えるにしくはない:
だれが発言権を持つ側であり、だれがその発言を聞かされる側であるかを隠れて支配する現在の秩序は、打破さるべきである。メディアと民主主義の関係を回復するため、われらは現在公共のチャンネルを横奪し、それによって私利を得つつある企業組織は、このチャンネルの妥当な使用料、すなわち当面、広告費収入および広告によって得られるあらゆる利益の25パーセント相当分を支払うべきことを要求する。この使用料収入は、非営利的表現、ならびに社会教育を維持するための公共コミュニケーション支援の財源に充てられるべきであると宣言する。
万人に対する教育もまた再生さるべきである。従来の公共教育が、公衆の表現を促進する書き文字教育に向けられたことと同様の精神により、商業主義以降の教育活動は、現代芸術その他の公開討論の手段の教育によって、補強さるべきである。いまやメディアに対する単なるシニシズムは排さるべきである。公平と正義の感覚に信を措き、われらはここにメディアの作り手と受け手を隔てる壁が廃絶されるべきこと、これ以降、与論の歴史がギャラップ等の与論調査機関によって綴られることを一切許容せぬことを宣言する。
長きにわたり継続した公衆のコミュニケーション制度を軽率な理由によって廃絶すべきでないとする慎重と不安、また深慮にはもとより理由がある。その結果人間がマスメディアを軽蔑するのみに安んじる――なぜなら現状を覆し、精神的隷属状態から完全に解放されることに比べれば、軽蔑のみに止める方がより安易なるがゆえに――という事実は、すでにボブ・マーリーが指摘した。
このような厚顔無恥なる裏切りを前にし、われら「忍耐の限界に達したアメリカ在住人類」は、メディアと民主主義のための独立会議に参集し、われらの意図を世界の知性にたいして宣明する。われらはこれより以後、一切のかかる意識操作文化装置からの決然たる独立を誓い、かつ民衆の意識と認知をかかる詐術へと拘束する精神へのあらゆる束縛が完全に廃絶されるべきことを宣言する。あらゆる自由にして独立の人間が、居住地域、財力、GNPへの寄与度を問題とすることなく、公開の討議と知性ならびに想像力の自由な交換を活発にするメディア・チャンネルの一新に従事すべきであると、ここに宣言する。
(2):原文は二世紀前トーマス・ジェファーソンによるアメリカ『独立宣言』の文体を換骨している。これに注意を促すため故意に擬古文としてある。