シェフィールド便り

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§第一回 Sheffield | §第二回 Naturalization | §第三回 Unrestrained Mason | §第四回 English Food
§第五回 East Asian Studies§第六回 パンセ | §第七回 The contemporary polis or civitas

 第一回(2000年10月12日) Sheffield

 英国にSheffieldという、規模でいうと第四〜五番目の都市があります。 かつては鉄鋼業で栄えた町ですが、現在は静かな一地方都市です。 そこにシェフィールド大学という、法政大学と長い付き合いのある 日本研究の盛んな大学があります。私は現在そこに留学しています。

 現在の英国について、また留学についてなど、今後できるだけ この機会を利用して報告していきたいと考えてます。

 これを読んで頂いてる皆様からのご質問に対し、お答えしていく形式で進めていくのも、面白いかと思っております。ご遠慮無く「目次」に載せたアドレスまでご質問・ご感想等をお寄せ下さい。ではよろしく。

 日本の百科事典から、この町に関する情報を引用しておきます。            

〜参考資料〜
 Sheffield:
 イギリス,イングランド北部のサウス・ヨークシャー(旧ヨークシャーのウェスト・ライディング地区)南西部にある工業都市。地名は〈シーフ河畔の平地〉の意。人口52万9000(1995)。ペナイン山脈の東麓,ハンバー川支流のドン川とシーフ川,ポーター川などの合流点に位置し,鉄鋼,刃物工業を中心に重工業地域を形成する。
 もとはハラム荘園の一部であったが,12世紀初めにノルマン貴族がこの地に築城してから発展。14世紀ころから,付近で産出する鉄鉱石,木材,砥石を背景に木炭製鉄と刃物製造が活発になった。15世紀には水車動力が利用され,刃物工業都市として独占的地位を獲得していった。しかし本格的な重工業の成立は,ヨークシャー炭田の開発される産業革命以後であり,1859年設立のベッセマー製鋼所を中心とする,銃砲身,船舶用装甲板などの特殊鋼生産に特色を有している。また1742年ころから開始された銀めっき銅製品(シェフィールド・プレート)の生産も有名である。現在では伝統的なナイフ,はさみのほか,兵器,車両,活字,缶詰などの製造も行われている。
 市内には15世紀の塔を残す大聖堂や刃物,めっき製品の収集で知られる市立博物館,J. ラスキンの収集品を納めるラスキン博物館および1905年創立のシェフィールド大学などがある。――長谷川孝治『平凡社世界大百科事典』


 第二回(10月23日)Naturalization

 私は、Sheffield大学に通い始めて約二ヶ月になる。英国の生活に適応するため、自分にどんな変化が起きたのか検証してみると、意外にも本質的に、あまり変わっていないことに気付かされる。

 英語がペラペラになった訳でもない。社交的になった訳でもない。食事は好きなものもあれば、嫌いなものもあり、結局やってることは同じである。  では、君はちっとも成長していないのか?と問われそうだが、別段、怠けて生活している訳でもないので、それは違うといえる。ただ本質的に自分が、あまり変わっていないと言いたいのだ。

 恐らくここが都会であり、まだ気候がさほど厳しくないために、私は、自分の気質を変化させずに済んでしまっているのだ。

 風土の著しい違いが、自分の内部に激しい変化を迫ってくる経験を、皆さんもお持ちかもしれない。(遠方への転居・長旅などを通じて)新しい環境に自分を応化させるための、試行錯誤していく過程に、 私は自分の成長を感じるのだが、現在それがあまりないのである。

 最大の理由は、順応それ自体、いとも簡単な作業だからである。寒ければスーパーにでも行って、毛布か何かを買えばいいし、お腹がすけば同様にして、食品を手に入れることができる。全てが、こんな具合に済んでしまうのだ。

 何だか頭まで悪くなってしまいそうな危機感に襲われるが、運良く(?)大学の講義が私には、それなりにきついので、こちらの方面では、適応本能を大いに働かせている。よって、その心配は今のところ無用といえる。

〜参考資料〜
 適応: @その状況によくかなうこと。ふさわしいこと。あてはまること。
 A生物の形態・習性などの形質が、その環境で生活・繁殖するのに適合していること、あるいはそう判断できること。現存の生物の形質の多くは適応的であるが、そのすべてが適応しているとは限らない。主に 遺伝的な変化についていうが、そうでもないものがあり、狭義には後者を順応と呼んで区別することがある。応化。    <広辞苑>


 第三回(11月1日) Unrestrained Mason

 大学は私の住んでいる寮から徒歩30分以内の範囲にある。

 各学部が、一定の地域に点在しており、建物の種類は、様々だが町並みに溶け込んでいる。古い教会をそのまま利用している講義室もある。比較的大きなビルもあるが、どれも歴史を感じさせる建物ばかりで、落ち着いた景観である。

 特に驚かされたのは、国際交流センターの建物だった。なんと、どう見ても住宅地にある普通の一軒家なのだ。表札には丁寧に、"International Office"とある。もしや、と思い近所の家を見て回ると、案の定、その小さな通りは住宅地ではなく、どの家々も大学に属していたのである。

 面白いので、英国の一般的な建築物の特徴をまとめてみたい。

 煉瓦造り。使われてない煙突。外装も煉瓦。住宅に関しては、基本的に二階建てで、それ程高さはない。庭付き。都市部でも超高層ビルの類は稀である。全般に言えることだが、古い。特に大英帝国の遺物が多い。

 煉瓦は英国で最も手に入り易い素材で、耐久性も強く気候・土地柄にも合っているため、伝統的に普及している。ロンドンでは木造が禁止されたこともあり、煉瓦普及が徹底していたように感じる。赤煉瓦が19世紀頃から流行り、現在にいたるそうだ。よって、赤煉瓦の建物は、比較的新しい部類に入るのではないだろうか。

 この国では、古い建築物を片っ端から保護している。そのため、古い家を破壊して新築を建てる者は少ない。それ以前に、役所が大抵の申請を受け付けないらしい。従って一般的な人々は、既存の家を購入する。察するに、徐々に大きな家へと移っていく引越しが、庶民の間で、自慢のネタとなるに違いない。

 多くの使われていない煙突が、なぜか残っている。使っていなくても、古いから守るのかと思っていたが、 聞いてみると、意外とそうでもないらしい。単に、破壊するだけで結構、高くつくそうだ。

 身長の高い人種が多い国なのに、なぜか高い建築物をあまり見かけない。一つの理由に、既成の建物に新築の建物が、合わせなければならない規則があるためだと考えられる。

 それと、最近よく感じることなのだが、本当に英国人の平均身長が日本人のそれより高いのか?と考えさせられるのだ。確かに足は長い。要するに長足ブロンド型人種ではある。しかし、どうも長いと高いを混合しがちな傾向がある。所詮、相対的な尺度でしかないので、深追いは止したい。

 それでも、世界の建築物平均身長統計なるものがあったら、ぜひ見てみたいものだ。意外と人間のそれとは、まったく関係がないのかもしれない。むしろ、人口圧力からくる生存競争との関係に焦点を当てるべきなのかもしれない。

 ある日、ここで建築学をやってる韓国人の友人に、「あなたにとって、設計で一番大切なことは何ですか?」と、尋ねたところ、「合理的でなければならない。」との返事が返ってきたので、「それでは、動物の巣は我々のよりも合理的ですか?」と、続けて質問したら答えてもらえなかった。

〜参考資料〜
 煉瓦造建築(れんがぞうけんちく)
 煉瓦を主要材料とした組積式構造を煉瓦構造(または煉瓦造) brick construction といい,この構造による建築を煉瓦造建築と呼ぶ。古代エジプトやメソポタミアでは,日乾煉瓦が主要な建築材料で,厚い壁を築き,ポプラやヤナギの幹を梁材とし,その上にむしろを敷き,土を塗って屋根とした。注目されるのは,木の梁が得がたい場所ではドーム屋根がつくられたことで,アッシリアでは,方形の箱形建物の上部に 尖頭ドームをのせた建物がつくられていたことが古代の浮彫から明らかで,まったく同じ形態の住居が,現在でもシリア,エジプトなどで見られる。現在のものは,ドームの直径が4m前後である。
 古代エジプトでは,放物線形の日乾煉瓦のドームが,主として穀倉として建てられ,その直径は通例2m前後,ときには直径10mに近い大穀倉もつくられていた。古代のエーゲ海やギリシアの建築でも,通例の建築は,基礎および地上のわずかな部分だけを石材で築き,それから上は,木材で補強した日乾煉瓦で 建てていたと考えられ,多数の遺跡が壁の下部しか残っていないことも,このためと思われる。しかし,上質の日乾煉瓦の耐久力は驚くべきもので,前5000年から前3000年のものが発掘され,地上に露出していたものでも前4世紀ぐらいまでさかのぼるものがある。
 ローマ人は,前1世紀から焼成煉瓦造の建築を発展させ,また煉瓦壁をコンクリートの型枠とし,煉瓦壁とコンクリートを一体に形成し,それを大理石板やスタッコで仕上げるという複合的工法を発展させた。著名なローマのパンテオン(2世紀初期)やオスティアの集合住宅はその好例であり,ローマ建築では,表面から見ただけでは,煉瓦造かコンクリート造かは区別できない。帝政期の上級建築では,天井も 煉瓦造コンクリートのボールト(曲面天井)でつくられたが,一般的には床や屋根の小屋組みは木材でつくられた。
 中世西欧の主要な建築は石造の教会堂と城郭で,一般住居は通例木造か日乾煉瓦造であったが,北イタリア,北ドイツ,オランダなどの木材・石材の比較的乏しい地域では,しだいに焼成煉瓦造の建築が発展し,治安の安定とともに各地に普及するようになった。とくにオランダの影響を受けたチューダー期のイギリスでは,煉瓦造独特の味わいをもったすぐれた建築がつくられた。
 ルネサンス以降は,都市の稠密化にともない,防火上有利な煉瓦造住宅が増加するとともに,石造建築も,運搬・加工の困難な石材を表面だけに用い,見えない部分は大部分煉瓦積みとする複合工法が一般化して,煉瓦造は実質上,西欧建築工法の主流となった。とくに17〜18世紀のオランダとイギリスでは, 煉瓦壁そのものの風趣が愛好され,ロンドンでは,1666年の大火後に木造建築を禁止し,標準化された煉瓦造の連続住宅が一般化された。また,後期ビクトリア朝では,さまざまな色の煉瓦を組み合わせて, 多彩な煉瓦造建築を建てることも流行した。近代に入っても,煉瓦造は住宅建築の主要な工法としての位置を保ち,鉄筋コンクリート造や鉄骨造の骨組みをもつ建物でも,壁の部分は煉瓦積みで埋められる場合が多い。
 日本では,明治時代から大正時代まで,帯鉄などで補強した煉瓦造建築がかなり建てられたが,大地震に弱い欠点から,関東大震災(1923)以降はまったく建てられなくなった。(桐敷 真次郎<平凡社世界大百科事典>)


 第四回(11月14日) English Food

 朝食
 トースト二枚
 ポーチド・エッグを一つ
 ベーコン二切れ
 大豆のトマトソース煮お玉一杯
 牛乳,コップ二杯

 昼食
 バゲット(ベーコン&トマトサンド)
 ジュース一本

 夕食
 Fish&Chips or ローストビーフのスライス
 ポテトサラダ or ポテト丸ごと一つ
 グリーンピース or ニンジンのゆでたもの
 牛乳,コップ二杯

 以上が、私の英国における食事の典型的メニューである。
 寮で留学生活を送らせてもらっているのだが、食事を作らないで済むので、助かっている。

 食事は昼以外、すべて寮で食べることができるのだが、ここの学生と同じ食事を取ることになる。彼らが、日常どんなものを食べているのかを知ることができてそれなりに興味深い。

 以下に英国の食事に関して、私個人の感想を記したい。

 朝食について。
 「イギリスで良い食事をしようと思うなら、朝食を3度とればいい。」
 Somerset Maughamさんが、そう言ったそうだが、私も同感だ。
 和食の朝食も良いが、英国の朝食も洗練されていて美味しい。
 焼いたトマトとマッシュルーム、ソーセージ、卵、果汁100%のオレンジジュース。
 これらが、非常にトーストと良く合う。B&Bや寮は商売だから、多少凝った朝食なのだろうが、朝から活力を充分に得られるので、私は気に入ってる。

 昼食について。
 バゲットという、半分の長さに切ったフランスパンにベーコンやサラダ、チーズ、ツナなどをサンドしたものが、カフェテリアなどで、約2ポンド売られている。これは、店員が作ったのをその場で買うので、コンビニのパンより味が良く、値段も比較的安い。
 大学のそばにバーガー屋があるのだが、ここもその場で卵やベーコン等を焼いてくれる。これぞ元祖ファーストフード店なのかもしれないが、素材が新鮮で非常に味が良い上に、値段も安い。

 夕食について。
 味つけが塩、コショウのみ、といった非常に素朴なものだが、その代り、上手く素材の味を引き立てているので、評価できる。
 肉料理よりもむしろ、ポテトの料理といった炭水化物中心のメニューが寮では多く出る。デザートもあるのだが、ただでさえ甘いケーキにカスタードを、どっぷりとかける。

 その他、甘いものに関してだが、この国には、数え切れないほどの甘〜いお菓子が存在する。甘さに関しては、一変して貪欲な味付けとなっている。

 甘さの効いたチョコレートの中にカラメルを入れて、更にグレープジャムを加えることなど、お手のものである。あまりの甘さに、一瞬、何を食べているのか分からなくなってしまうくらいだ。

 以上から、この国に住む人々の好みをまとめると、できるだけシンプルな味付け。量は多めに。肉よりは炭水化物をたっぷりと。野菜はサラダに。甘いものは徹底的に甘くする。
 このような具合である。

 現代英国人の気質を伺わせてくれる気もする。個人的に、味付けの素朴さに好感が持てるのだが、彼らの甘さへの執念には、不気味さを覚えずにはいられない…。
 第五回(12月10日) East Asian Studies

 我ながら、奇妙な状況だと感じるのだが英国に留学して、東アジアについて学んでいるのが現状である。
 中国哲学の講義をとっている学生達は、ほとんどが、中国語を巧みに操れたり日本へ留学を志していたりと、それぞれ独学だけに水準の高さがよく伺える。
 彼ら彼女らには、東洋思想を理解するにはあまりにも文化が違いすぎると思うが、英訳された分厚い教科書を、自分なりに理解しようと努力する姿は立派である。

 それに比べ、生(なま)の漢文に接するのが容易であったにも関わらず、孔子、孟子、荀子すら通して読む機会がなかった日本の大学生の私は、奇妙にも、英文を通してそれらを今さら読んでいるのである。馬鹿馬鹿しいにも程があるというものだ。

 中国哲学を通して見えてくる、東アジア社会でのものの見方などは、本来、大学生なら一般教養として身につけていなければならなかった。
 私は白状すると、漢文を読むという作業を、大学に入ってから一度もやった記憶がないのである。さらに言えば、漢文を読んだとしても、読むことに重点を置き、内容を頭で吟味し、何が大切なのかを自分なりに考えた記憶がない。学んでいないのである。何のために漢文を読むのかを知らないのである。せいぜい、有名だから覚えておこう…その程度である。
 この極端な謬見を持っていた私は、事実、常識と教養がほぼ同じ意味で頭の中に入っていたにすぎないのである。その実体は、虚しい豆知識、赤線チェック、暗記等の集積であり、頭は考えるのに働かせたことがないのである。

 君は東洋人だ、東洋思想とは何だ?と問われて、答えられないのである。文系も理系も問題ではなくて、この重大な知識の空白とでもいえる無知は、自分が何者で、どの社会に生きているのかという根本的な問いに、答えられない深刻な心の貧困を引き起こしているのだ。

 どうしようもなく複雑になってきている社会を、こんな貧弱かつ偏った知識で乗り切れるわけがない。我々、学生達はあっという間に流されるだけだ。およそ三千年前から文明の発端で、何かが変わろうとしていることに逸早く気付いた人類の教師達が、必死に訴えてきた言葉も聞かず、何が教養だ!
 まったく大学生なんて肩書きが恥ずかしい限りだ。これ以上書くと自分が情けなくなるので、やめにしたい。 それよりも、漢文の中身について語り合える講義を法政の全学部共通・単位無しでつくってみてはいかがだろうか?きっと単位をあげたくなるくらいの人数は集まると思う。少なくとも私は、多少お金を払ってでも参加する気持ちがある。

 現在、単位なしの語学専修講座が法政の各キャンパスで行われているはず。大学生に限らず語学を学びたい社会人も受け入れての講義だが、お金を払うにもかかわらず、なかなかの盛況ぶりであった(安い)。実際、私も英語をそこで学んでいたが、単位がないせいか学びやすかった。先生は生徒の学びたいことに合わせ、自由なカリキュラムを組めるのでお互い積極性のもと、かなり充実した勉強の場を作っていたのをよく覚えてる。 ここでも一つ、世の中でとても大切だと思われている、あるものが、実は無用で、むしろ学ぶには邪魔な存在だと気付かされる。

 話が逸れてしまったが、今はそのまま無理矢理まとめよう。

 * PhilosophyはPhilologyからやれ、ケーベル氏がそう言ったそうだが、 まさに一般教養のあるべき一つの姿だ。

 * 孔子は単位で学生を教えなかったはずだ。


 第六回(2001年2月27日)  パンセ

 私の友人にイラン人の遺伝学研究者がいる。
 その人との会話。

 「どうして遺伝学をやってるのですか?」
 「君は、自分の子供の頭脳を優秀にしたり、遺伝病や不治の病を治療できるようになったら、すばらしい世の中だと思わないか?遺伝学は、我々人類が築き上げた英知の結晶だよ。」
 「僕にはわからない。頭が良いせいで不幸な人は山ほどいるし。死と病は確かに辛いけど それがあるから、人間は生きてるすばらしさを再認識できるのではないでしょうか。
 第一、遺伝子操作やクローンは不自然です。東洋思想は不自然なことが大嫌いなんです。 知ってた博士?」

 進化の行きつく果ては、進化を作り出す能力を得ることなのか。
 そもそも進化とは、多様化の過程ではなかったのか。
 進化がこの程度の目的論で、全知全能の種を生み出すためだなどという発想は、グノーシスか一神に慣れ親しんだ西洋哲学のお得意な態度ではないのか。
 現代科学も、根本でそんな思い込みが働いてるのかと思うと背筋が寒い。

 年下のインド人で電気工学を学んでいる友人との会話。

 「インドじゃ、お猿さんを尊敬してるそうだね。ハヌマンラングールだっけ?」
 「そうだね。でも、あまり近づくと噛むよ。」
 「猿と人間、どっちが賢いと思う?」
 「難しいね。」  「サルも結構しんどい社会とかいろいろあるみたいだけど、戦争したり、都会で生存競争に明け暮れるヒトほど馬鹿じゃないでしょう?」
 「確かにインドの都会は厳しい。飢えてる人々が特に惨いね。でも僕には助けてあげられない。君は助けてあげられるかい?」
 「僕にぃ? 残念だけど無理だね。僕が支えられるのは、精々、自分の家族くらいが限界だと思うよ。」
 「だから、僕は自分の好奇心にだけ従うことにしたんだ。」
 「それじゃ、君が人生で一番楽しいことは…」
 「考えること!」

 彼は軍医の息子だそうだ。どこかニヒルな感じがするが、現実主義者とは、こういう人のことを指すのではないだろうか。先進国という誇大妄想化された遊園地の中で生きる若者とは発想が違う。
 飢えて死んでいく人々を日常の風景として見かける生活。最近ではお隣さんと核兵器で睨めっこをしている、それが彼の母国だ。彼と話し込むほど、絶滅危惧種に現代人を入れる日が間もなく訪れそうな気がした。絶滅した暁には、あの世でこの青年と

 「絶滅しちゃったね。」
 「しかたないさ。」
 「すでに考えてた?」
 「まぁね。」
といった涼しい会話をしていそうだ。


 第七回(2001/05/14)  The contemporary polis or civitas

 私は、イースター休暇を利用して欧州を旅をした。目的地は、ローマ・アテネ・カイロ。
 ギリシアまでは鉄道とフェリーで約2週間。一旦切り上げてロンドンにもどり、今度はエジプトまで飛行機を利用した。エジプトでは約1週間滞在した。
 ちなみにロンドンの叔母の家には5日間滞在し、旅の計画を練りつつ首都を散策したり 大英博物館に三日間通って、そこの図書館で宿題をやっていた。
 野宿をしたり何度も列車のシートで夜を明かしたりと、それなりに貧乏な一人旅であったが、自分について学ぶことが多かった。今回は、この旅について記したい。とはいったものの、印象に残ったことだけでも1ヶ月分ともなると、半端な量ではないので、強く印象に残ったことだけに的を絞りたい。

 〜ローマ〜
 私のローマでの目的は、古代遺跡巡りであった。勿論、人や環境にも興味があった。
 フォロ・ロマーノの遺跡は特に興味深かった。丘に登ると、都市を見渡せるのだが、 なるほど支配欲を駆り立てられる眺めである。気候は温暖で、周辺地域の土地は豊穣。 おそらく、こんなに豊かな環境で暮らしていたら、充分に満ち足りた生活が送れるはずだが、なぜか支配欲が起こる。ある人は、ローマの法が国を引き締めたおかげで、人々が堕落せずに帝国があそこまで発展できたのだと書いていた。考えてみると、人間は常に侵略者を意識して文明を維持してきたことがわかる。悲しい性だが、農耕が発達すると餌付けされたニホンザルの社会のような傾向が我々にもあるみたいだ。ちらっとハトをローマでも見かけたが、体の大きな一羽が、小さいのを追っ払って観光客から撒かれた餌を独占していた。どうも霊長類だけではなさそうだ。

 余談だが、イタリアは噂通り美人が多い。これには心底驚かされた。英国に戻ってから留学生の友達に意見を求めると、皆が同意するほどだ。どうやら、好みを越えてしまうほどの何かが、あの地域にはあるのだろう。興味のある方は、ぜひ行かれることをお勧めする。ちなみに、彼女達の魅力は人格的なものからくるものだと私は思う。

 〜パトラス〜
 イタリアから船でギリシアのパトラスに着くと、私は早速アテネまでのバスを探した。町をしばらくうろついていると、20〜40代の男達の集団が何もすることなしに路上でたむろしているのを見かけた。結構な人数だが、どうやら公園で生活しているらしい。彼らを見ていると私の時間の観念が、崩れそうになる。自分達の時間を持つ彼らの生活も決して甘いものではないのだろう。いびつな平和である。

 〜アテネ〜
 ギリシアは歴史を学びたい学生に友好的だ。イタリアの遺跡や博物館は必ず入場料をとる。これはエジプトでもそうである。しかし、ギリシアでは学生証を見せれば、無料もしくはかなりの割引をしてもらえる。文化水準の高さを誇りにしているのだろう。その粋な計らいが私は非常に気に入った。ちなみに英国も大英博物館が入場無料である。こっちは 意地だそうだが。

 アクロポリスや考古学博物館に展示してあった彫刻は、古代人の天才ぶりを我々に遺憾無く見せつけてくれる。なるほど美の理想がもともとあって、それに近づける我々の努力が、かくの如き一流の技を生み出すのものかと思い知らされる。像は大理石でできているが、我々は彫刻家の頭の中で描かれた美の理想を像に見る。当たり前な話だが、物質と人の情熱が彫刻の美を通して共鳴していることがよくわかる。叩き壊せば、単なる石ころ、つまり物質はその属性以外の何物でもない。しかし、これに意思と技が加わると我々は、強く美を認識する。

 ギリシア人は永遠に残る完全無欠の理想を美に求めたのだろう。しかし、理想はあくまで理想にすぎなかった。完璧を求めたはずの像の多くは、ことごとく鼻が圧し折られ、 どれ一つとっても完全な姿で保存されているものはなかった。そして、あれほど頑強に 造られた建築物であったはずのアクロポリスは、今や観光地として、その無残な廃墟を 観光客に曝している。まさに、ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらずである。淀みに浮かぶうたかたは、あまりにも儚い。ギリシア人の生活は今も昔もそこにあるのだ。

 〜カイロ〜
 ルクソールから鉄道を利用し約半日かけ、私は首都カイロへと辿り着いた。都市の食糧自給率とリサイクル率が極めて高いのと、ドキュメンタリーで取り上げられていたのが きっかけで、私はカイロに訪れることを決意したのであった。ナイル川三角州の頂点あるアフリカ第1の都市、それがカイロである。人口は約七百万程度だが、人口密度は高い。観光地よりも私は路地裏を徘徊していたが、どこか上海の路地裏を思わせる、ざっくばらんな人間模様を見させていただいた。しかし、ここもやはり都市なのだと強く意識させられた。

 第1に、車が過剰で大気汚染がひどい。第2に、軍人と警察が多い。第3に、常に混雑している。食糧に関しては、野菜が豊富で新鮮なのがよくわかったので、恐らく周辺で自給しているのだろう。あの気温で食品の鮮度を保つのは至難の技だからだ。そして、私がもっとも興味を持っていたリサイクル率に関してだが、いまいち分からなかった。理由は、ナイルがゴミで汚れていたためである。しかし、ゴミが全体的に少なかったのも事実だ。というのも、捨てるものなど始めから付けないからだ。せいぜい食べ物の包み紙程度だろう。実際、私もほとんどゴミを出さなかったことを記憶している。

 旅行者だから、本当のところは現地に住んでみないとわからない。しかし、ドキュメンタリーでの未来の都市モデルといったカイロの取り上げ方には、どうしても懐疑的にならざるをえない。なぜなら、大気汚染がひどいのに野放しであることと、依然として市民は経済成長という夢にとりつかれているためである。要するに、都市人口は今後も増え続けるであろうし、経済が大量生産、大量消費に移行すればゴミは必然的に溢れ出すに違いないのだ。要するに、根本的な発想が変わらない限り、地球環境にやさしい都市などというものは絵空事でしかないんだと私は確信したのだ。
 エジプト人のご老人とのんびり三時間ほどお茶を飲んで語りあったが、彼も同じ危惧を抱いていた。どうやらカイロの先行きは楽観視できないようだ。

 〜旅で何を学んだか〜
 今回の一人旅は、大学を自主休講するのを覚悟で4月を丸々と利用させていただいた。本当は都会を見学する旅行なんてまっぴら御免なのだが、今回は我慢の旅である。 高校の物理や数学のように、後になって学んで良かったなぁと思うことが必ずこの旅行にもあるはずだと信じ、それに賭けたのである。なお、主な交通機関は周辺地域もしっかり見ておくため、あえて鉄道を使った。こちらの方が安いという利点もあるのだが、欧州を英国からフェリーと鉄道で南下するのには、さすがに骨が折れる思いをした。船酔いと駅での長い待ち時間の対処等で休まる時間がないのだ。

 この旅で、とにかく頼りになるのは自分の頭だけであるが、これがいまいち頼りにならない。行く先々で困難が山のように待ちうけているのにもかかわらずだ。言葉、食事、宿、気候、人間…。しかし、興味深いことに、旅慣れていく過程で自分の頭をフル回転させるのが楽しくなるのである。基本は失敗と反省の繰り返しだが、自分のでたらめな行動それ自体が、なんとも面白いのだ。あるいは自分が若いから、こんな無茶苦茶な考えがまかり通るのだと思うが、非常に貴重な勉強であった。

 旅の効用として今あげられるのは、旅の後に世界史の教科書を開くと、驚くほど楽しく読めるということだ。あぁ視野が広がるというのは、このことなのかと我ながら感心してしまうほどである。とりあえず私の賭けは、当たったようである。
(続く)