総合年表

木版以前 インドの布捺染、中国の臈纈(ろうけち)・夾纈(きょうけち)、日本の摺衣、コプトの木版型染め

紀元前59 ローマのカエサルの時代、政府広報「アクタ・ディウルナ」actadiurnaが作られた。 元老院の議事acta senatus と、民会の決議、一般事件acta populiから成る。acta populiのみ、帝政時代を通じて存続。

7C末  インドの印仏、中国唐の印仏(いんぶつ)

751以前 韓国『無垢浄光大陀羅尼経』(慶州・仏国寺・世界最古)

764〜70 現存する日本最古の印刷物、木版印刷・百万塔陀羅尼(文字のみ)

847 中国印仏の請来

868 板目木版画『金剛般若経扉絵』(大英博・敦煌発掘・絵としては最古のもの)

9C末 中国の摺仏(すりぼとけ)

11世紀中期 中国の畢昇(ひっしょう)が、粘土を焼いた「泥活字」を作る。

12Cはじめ 日本で印仏、摺仏が作られる

12C以後 扇面古写経下絵、縁起絵巻下絵、経巻見返し装飾、仏画に手彩色

1127 南宋成立

1133〜 日宋貿易で、砂金、水銀、硫黄、木材、蒔絵、扇子、刀剣が、日本から宋へ輸出される。

13C 紙が西欧に伝わる

1206 テムジン、チンギス・ハーンを称す

1223 「倭寇」の記録の初出=倭、高麗の慶尚道金州を寇す。

1229 オゴタイ・ハーン、東ヨーロッパ征服

1231 蒙古の高麗への侵略はじまる。

1260〜 フビライ・ハーンの時代

1263 高麗使が来日し、倭寇の禁圧を日本に請う。

1269 蒙古の使者・黒的(ヘイド)、対馬に来て、島民を拉致。

1271 元朝成立。マルコ・ポーロ、ヴェネチア出発。/このころには、木綿が江南にまで及んでいる。

1274 元朝、日本遠征(文永の役)。

1275 マルコ・ポーロ、世祖に会う

1277〜フビライ、ビルマ、チャンパ、ヴェトナムを攻撃。

1281 元朝、日本再遠征(弘安の役)。

1284〜87 元朝、ヴェトナム・ビルマ遠征

1289 中国各地に木綿提挙司が設置され、中央に運ばれるようになる。

1292 マルコ・ポーロ、中国を去る

1292〜93 元朝、ジャワ遠征。ジャワにマジャパイト王国できる(〜1528)。

1298 マルコ・ポーロ『東方見聞録』成立。ジパング伝説の成立。

14C 中国の刻工が寺で和刻本を作り、古刊本(五山本)が盛んに刊行される。

1313 中国、王禎『農書』に、木綿の栽培法・紡織法が記される。

1350 この年から、倭寇の活動が激化し、熟語としての「倭寇」が定着。

1365 中国、木綿栽培奨励策。

1368 元滅亡。紅巾の賊出身の朱元璋によって、明成立。

1369 明の使者・楊載、九州の征西将軍・懐良のもとに至り、抑留される。

1370 このころからヨーロッパで木版印刷(絵画)がはじまる。

1377 朝鮮半島の倭寇、極盛期。今川了俊、倭寇の連れてきた高麗人捕虜を高麗に送還。

1380 足利義満の使者、明から退けられる。

1389 琉球、高麗と通商。

1392 高麗の滅亡。李氏朝鮮の成立。日本は、南北朝合一。

14C末〜 ライン川流域からネーデルランドで木版画が始まる

15C ヨーロッパで手書き新聞が出される。

1400 このころからヨーロッパ版画に手彩色がはじまる。

1401 このころから、朝鮮活版印刷時代。

1402 マラッカ王国成立。/義満、日本国王となる(1408死去まで)。/世阿弥『風姿花伝』、禅宗、全盛期。

1405 明の鄭和、1433年まで、7回の海外遠征。500トン、4層デッキの平底竜骨船で、 チャンパ、パレンバン、マラッカ、サムドラへ寄港。

1414 マラッカ王、イスラムに改宗。島嶼部のイスラム化すすむ。

1418〜 朝鮮の木綿生産が急成長を遂げ、朝鮮王朝から日本の使者への回賜品の中心が綿布になる。

1419 義持、明と断交。朝鮮軍、対馬を攻撃。この後、倭寇の一部は、琉球で入手した染料、薬材、香料を扱う南海貿易商に転身して行く。

1420 朝鮮の宋希景、「大蔵経」を届ける名目で、倭寇問題の交渉のために来日。『老松堂日本行記』執筆。

1426 朝鮮半島に日朝貿易のための三つの港「三浦」成立。

1429 中山王、琉球統一。

1430年代 ライン川上流域の金工家の工房で、銅版画(engraving)が本格的に作りはじめられる。

1431 対馬賊首、早田(そうだ)六郎次郎、琉球王使節を連れて朝鮮へ行き、朝鮮人捕虜を返還。

1443 ハングル成立。グーテンベルク活版印刷。

15C中〜 西欧ではカルタやお守りの聖人像が作られる。

15世紀後半 日明貿易によって堺に巨額の商業資本が蓄積される。

1457 アイヌ・コシャマイン蜂起。和人館12のうち10を陥落。武田信広、これを鎮圧。

1471 ヴェトナムの黎朝、チャンパを滅ぼす。

1479 筑前国の資料に、日本国内生産木綿の初見(『金剛三昧院文書』)

1484 堺の「会合(えごう)十人衆」が記録される。

1485 ヴェトナムはジャワ、シャム、マラッカ、ラオス、チャンパに朝貢を要求。生糸絹織物産業もはじまる。

1492 コロンブス、ジパングをめざして出発。イスパニョーラ島に着く。グラナダ陥落。イベリア半島からイスラム教徒撤退。

15C末〜16C  ヨーロッパで戦争、天変地異を伝えるパンフレット、フルークブラットFlugblatt(ドイツ)、canard(フランス)が出される。

16C 古刊本の大内版、薩摩版、堺版などが刊行される。西欧で活字出版にともなって木版挿し絵入り本が数多く刊行される

1500 このころからヨーロッパに銅版画が登場

1510 朝鮮半島在住日本人による三浦の乱。/ポルトガル人、ゴア占領。

1511 ポルトガル副王ダルブケルケ、グジャラート商人と対立する華僑を味方につけてマラッカを征服。

1520年代 ネーデルランドで銅版etchingがおこる

1521 ポルトガル人、広州での貿易を禁止され、海賊化しはじめる。同時に、モルッカ諸島、ジャカルタに力を入れ、ジャワ海の航行権を確保。

1523 細川・大内両氏の使者、明の寧波で衝突。このため、日本船は中国の港から閉め出された。

1525 アモイの海賊の首領がポルトガル人を舟山列島の双嶼島の中の六横島に招き寄せ、そこに、ポルトガル人の住居約1000軒、教会2、市庁舎、医院ができ、市長がいた。

1526 博多商人・神谷寿禎、石見銀山の採掘。

1529 ジョホール、マラッカ王の遺子をスルタンとして迎え、マラッカのポルトガル人勢力に対抗。

1532〜 風流踊り全盛期。/1555ぐらいまでに、綿の種が朝鮮経由で入る。

1533 神谷寿禎、石見銀山で、朝鮮の灰吹き法による精錬に成功。

1538 日本銀の多量輸出はじまる。17世紀はじめには年間20万キログラム、世界の生産量の30ー40%を供給。/許棟、李某、官軍につかまり、許梓、タイに逃亡。その後、六横島では、もと塩商人だった徽州の王直が首領となる。

1542 生野銀山開発。このころから唐木綿の輸入増加。

1543 ポルトガル人、王直の倭寇ジャンク船に乗って、種子島に漂着。マラッカ式鉄砲の売り込みをはじめる。

1545 王直、博多商人・倭助才門を双嶼島に連れて行き、日本密貿易の根拠地とする。

1548 明の官軍が双嶼島を攻撃。王直、徐惟学、日本へ逃亡して、五島の福江を根拠地とする。このときポルトガル船黒人水夫が逮捕され、船には、寧波・アモイの中国人70余人、ポルトガル人10人、黒人13人が乗船していたことがわかった。/ペルー、ポトシ銀山開発。

1546〜48 メキシコのサカテカス、グナファト銀山発見。

1549 ザビエル、王直の倭寇船で来日。

1550 京都の戦闘で鉄砲が使用される。

1554 徐惟学の甥の徐海、王直と対立。このころ、倭寇船内に日本人は1〜2割。

1555 徐海、新五郎と組んで中国南岸を侵攻。明の官僚ら、中国人倭寇取り締まりのため五島に来る。

1556 鄭舜功、豊後に来る。徐海、明の官憲軍と戦って敗死。

1557 このころ、日本製鉄砲は30万挺と記録される。

1559 王直、明の官憲軍と戦って死去。

1560〜 ペルーとメキシコで、インディオの強制労働、水銀アマルガム法によって、世界総産銀の80%を生産しはじめる。年間45万キログラム。60〜100隻のガレオン船が就航。

1562 イエズス会、横瀬浦を領有。三味線が堺に入る。和泉久米田の戦いに鉄砲隊が出る。

1565 鄭舜功『日本一鑑』成る。スペイン人、フィリピン征服。

1567 スペイン人、カガヤンで日本船と交戦。中国、海禁撤廃。中国人、マニラ進出。当初は150人ほど。後期倭寇、ほぼ終結。アモイを中心に、福建人、広東人、ポルトガル人、日本人が取引。アモイでは、江南産の生糸・絹織物の他、四川・山西の生糸でアモイで倭緞(日本様式絹織物)を作って輸出。胡椒、砂糖も取引。

1570 マカオにアルマサン(対日生糸貿易組合)ができる。

1571 長崎開港。最初のポルトガル船長崎入港。大村、島原、平戸、横瀬浦、外浦、文知が町となる。マカオからの大船が定期的に入港。スペインがマニラを占領して開港。年1〜2隻のガレオン船がアカプルコとの間を往復しはじめる。新大陸からの銀は年間20万キロ。

1573 マニラから、絹の反物712匹、23000個の陶磁器等々が、アカプルコに運ばれる。泉州、アモイから、200トンのジャンク船が年に20〜30隻マニラに行き、マニラの華僑人口は、2〜30年で3万人となる。/日本・室町幕府滅ぶ。

1574 澎湖島の倭寇・林鳳、10隻の船、女性と農民を含む6000人の部下を連れてマニラ攻撃を計画したが、察知されて敗北。ルソン島北部の山岳地帯に入る。/堺の会合十人衆に千利休が入っている。

1575 長篠の戦い。信長・家康の連合軍、3000挺の鉄砲を使用し、武田軍を破る。

1576〜 金銀襴、緞子、繻子、辻が花、薩摩がすりなどが、はじまる。

1580 年間30〜40隻のジャンク船がマニラ就航。大村純忠の寄進により、長崎、茂木村とともにイエズス会領となる。住民はすべてキリシタンとなり、教会が軍事・行政権をもつ。

1581 宮中でややこ踊りが踊られる。オランダ独立。バリニャーノ、長崎にセミナリオ、コレジオ、修練所を作る。

1582 少年使節、バリニャーノとともに渡欧。このころ、西陣織、縮緬織などがはじまる。

1583 中国大陸でヌルハチ挙兵。

1585 秀吉、関白となる。

1587 秀吉、九州平定の際に、バテレン追放令を出す。

1588 秀吉、海賊禁止令。日本人の南海進出はじまる。刀狩り。秀吉、九州平定の際に隣の浦上村とともにイエズス会領長崎を長崎代官支配地とする。

1589 秀吉、朝鮮に来貢をうながす。

1590〜 生糸購入の目的で、中部ヴェトナム(交趾=広南)への日本船が急増する。

1591 秀吉、インド副王に禁教と貿易奨励を伝える。フィリピンに降伏勧告し、来貢をうながす。バリニャーノ帰国。キリシタン版活字印刷はじまる。(〜1614 31種、1点につき1500部)

1592 朝鮮出兵(文禄の役)。鉄砲配給率14%。明軍の構成は、タイ、ミャンマー、インド、チベット、中国少数民族、ポルトガル人。日本人たちは、大量の書籍、印刷機械とともに、銅活字をソウルから奪ってくる。その数十万字以上と言われる。/東南アジアの日本人町建設がはじまる。朱印船制度制定。/長崎が、奉行のいる天領となる。組織は、内町23町は「町年寄」4人、乙名、組頭。長崎・浦上両村と外町は、村山等安、末次平蔵などを代官とした。/ローマ字つづり日本語本『ドチリーナ・キリシタン』国字活字本『どちりいな・きりしたん』

1593 マニラのディオラに日本人町建設。/マニラ総督ダスマリナス、スペイン兵1000人、フィリピン兵8000人、中国船員250人の乗るスペイン艦隊で、オランダ領モルッカ諸島に進出を試みたが、船中で中国人・潘和五の反乱が起こり、総督は殺され、船はヴェトナムに漂着する。 秀吉、台湾へ遣使。/秀吉、フランシスコ・パジオに会い、宣教師10名の長崎在住と教会建設を認める。ジョアン・バプチスタ教会、聖マリア教会、聖ミゲル教会などが建てられる。朝鮮銅活字による『古文孝経』(後陽成天皇の勅版)

1595 5000人の華僑がマニラから追放される。/日本の木活字による『天台四教義集解』『法華玄義序』(民間)

1596 スペインのサン・フェリペ号土佐に漂着。船員の発言により、ヨーロッパの植民地化のプロセスを知る。イエズス会の謀略で、フランシスコ会派26人が処刑される。/オランダ人ジャワに入る。/中国で『本草綱目』刊行。/李参平(金ヶ江三兵衛)渡来。秀吉より土器師朱印状を受けている家永彦三郎が朝鮮陶工をともなって朝鮮より帰国。

1597 朝鮮出兵(慶長の役)。/ルソン壷の買い占めはじまる。/日本の木活字による『錦繍段』『勧学文』(後陽成天皇の勅版)。/26聖人殉教事件。/佐賀藩、鍋島直茂、工人をともなって朝鮮より帰国。

1598 秀吉死去。

1599 日本の木活字による『古文孝経』『四書(大学・中庸・論語・孟子)』『日本書紀神代巻』『職原抄』(後陽成天皇の勅版)。日本の木活字による『標題・句解・孔子家語』(家康の伏見版)

1600 オランダのリーフデ号、110人の乗組員のうち、24人の生存者を乗せて、別府湾に漂着。その中に、英国人ウイリアム・アダムス、オランダ人ヤン・ヨーステンがいた。イギリス東インド会社できる。関ヶ原の戦いで、鉄砲配給率40%。

1601〜03 家康、フィリピン、ヴェトナム、カンボジアに、朱印船制度を通告。

1602 中国でマテオ・リッチ地図完成。/バンテン沖で、オランダ艦船がポルトガル艦船を破る。アムステルダムにオランダ東インド会社できる。/陸奥に琉球人漂着し、島津氏、これを送還して返礼を求める。

1603 江戸幕府成立。/おくに、北野神社で傾き(かぶき)踊りをはじめる。/マニラで、中国人・黄江、華僑の組織化をはかったため、華僑2万人がスペイン人によって虐殺される。日本人400人はスペイン側につく。/オランダ東インド会社、バンテン、グレシク、ジョホール、パタニ、マカッサル、ジャパラに商館を設ける。

1604 朝鮮使節、戦後処理のために来日。国書と犯陵の賊の引き渡しを要求。/この年、ポルトガル船の砂糖を売って利益を得たオランダは、この後、中国糖を日本、ヨーロッパに売り、やがて台湾とバタヴィアでサトウキビ栽培を始め、ベンガル砂糖は敗北する。/糸割符制度できる。/このころから35年まで、確認できるだけで356隻の朱印船が東南アジア19ヶ所に往復し、7000〜1万人の日本人が東南アジアに在住し、10万人の日本人がアジアと往復した。

1605 キリシタン人口、40万人のピーク。/1300余人の朝鮮人捕虜を送還。/家永彦三郎の孫、家永正右衛門とその配下が、白川山の天狗谷登窯で「南京上手(じょうて)」磁器を創成。

1607 朝鮮使節504人、来日。/中国『三才図会』刊行。

1608 遊女歌舞伎全盛。/京都で中村長兵衛が『五家正宗賛』(民間の古活字本)を出版。/本阿弥光悦、角倉素庵の嵯峨本の刊行(〜24)。13点41種(うち3種は木版)『伊勢物語』『徒然草』『観世流謡本』など。嵯峨本において、「料紙装飾」と墨摺の「挿絵」がはじまる。この後、手彩色の「丹緑本」に展開する

1609 島津氏、琉球侵略。/平戸オランダ商館開設。/家康、フィリピン総督に、メキシコとの通商と、鉱山技師の招聘を依頼する。/アムステルダム為替銀行設立される。/ドイツで週刊印刷新聞Relation(レラツィオン)発刊。

1610 京都の商人をメキシコに派遣。/島津氏、捕虜にした尚寧王を家康に会わせる。/オランダ、現ジャカルタにバタヴィア城建設。

1612 このころ、人形浄瑠璃、京都に興る。/幕府禁教令

1613 平戸イギリス商館設置。イギリス商館の家主は中国人の東南アジア貿易家、李旦で、イギリスは彼に多額の投資をしていたが、何も得られなかった。(1623閉鎖)。/キリシタン禁令。/支倉常長、メキシコ、スペイン、ローマに出発。幕府禁教令

1614 中野市兵衛が空海『遍照発揮性霊集』(民間の古活字本)を出版。/キリシタン追放。長崎で日本イエズス会本部、11の教会、セミナリヨ、コレジヨが壊される。

1615 日本で、大坂夏の陣の報道が瓦版(読売り、辻売り絵草紙)として発刊される。粘土による瓦版(土版木、石版)、木版、銅版によって印刷され、明治20年代まで継続された。

1616 イエズス会、東北へ入る。/ヨーロッパ船を平戸・長崎に制限。日本人の台湾遠征。/家康死去。/日本の銅活字本『群書治要』50巻47冊(駿河版)。/李参平と朝鮮陶工集団が天狗谷に移動。家永一団は他の地に移住。朝鮮陶工は泉山(いずみやま)に白磁を発見し、磁器を焼く。初期伊万里は、この年から1659年ごろまで。また、李朝陶工たちは、李朝中期様式から明朝様式へ転換。

1617 このころ、ホギュンの『洪吉童伝』書かれる。/江戸吉原遊郭開設。/このころ、マカオのポルトガル人貿易は日本の資金によって行われている。

1619 オランダがバタビアに総督府を置く。このころ、福建の製糖業がジャワに移される。/広東では、マニラと日本向けの養蚕、製糸、粤緞、粤紗が生産される。 

1620 広南(中部ヴェトナム)の阮氏、茶屋四郎次郎を通じて日本から武器を購入し、ポルトガル人傭兵をかかえる。東京(北部ヴェトナム)の鄭氏、角倉家を通じて日本から武器を購入。対立状態となる。/このころから、仮名草子さかんになる。/イギリス、オランダの商館員が、スペイン・ポルトガルの植民地政策とキリスト教の不可分の関係について書状を提出する。

1622 日本で55人が殉教。/イギリスで週刊新聞Weekly News発刊。

1623 アンボイナで、イギリス商館員、日本人、ポルトガル人がオランダ商館員によって陰謀の嫌疑で処刑される。このころから、イギリスはインド交易に転換。平戸イギリス商館閉鎖。日本人のマニラ渡航と、ポルトガル人航海士の雇用を禁止。

1624 スペイン人の来航禁止。フィリピンと国交断絶。/オランダ東インド会社、台湾の安平にゼーランディア城、台南にプロビンチア城を建設。福建から数千人の技術者と労働者が送られる。

1626 このころから板本へ転換。/日本に金唐革が入りはじめる。/スペインが台湾の淡水にサン・ドミンゴ城、基隆にサン・サルバドル城を建設。

1627 満州族が朝鮮に侵攻し、対馬は弾薬200斤、長刀500本を朝鮮に送る。/中国、胡正言『十竹斎書画譜』

1628 台湾における、ヌイツによる浜田弥兵衛船抑留事件。平戸オランダ商館閉鎖。

1629 女歌舞伎の禁止。

1630 オランダでハンス・ル・メールが金唐革の大量生産と輸出をはじめる。/絹織物の日本への輸入、18万〜24万枚。/山田長政、リゴールでパタニとの戦闘中、シャム人に毒殺される。

1631 対馬宗氏による朝鮮向け国書偽造事件(柳川事件)。/フランスで週刊新聞La Gazette発刊。/奉書船制度ができる。

1632 日蘭国交回復。/肥後の森本右近太夫、アンコールワットに父母の菩提をとむらう仏像4体を納め、落書きを遺す。(プノンペンやアユタヤにいたか)。

1633 日本で、奉書船以外の日本船の渡航、帰国が禁じられる。在留5年未満の者以外の帰国禁止。(いわゆる第1回鎖国令=17箇条)。/明皇帝による琉球王の冊封はじまる。/オランダ商館長の江戸参府はじまる。幕府巡察使にタイするアイヌのウイマム(御目見得)はじまる。

1634 前年同様の禁止令(いわゆる第2回鎖国令=17箇条)。京都へ来た琉球の冊封謝恩使と年頭使を将軍・家光に会わせ、慶賀使、襲封謝恩使としてしまう。琉球石高は島津家に記録され、幕藩制に編入される。琉球国王の謝恩使はじまる(〜1850・18回)。/長崎の町役人25名による出島構築。/この年から1637年までに、日本ー台湾貿易は4倍になる。供給窓口は鄭芝龍。

1635 日本、すべての船の海外渡航と帰国を禁じる。唐船を長崎に集中させる(いわゆる第3回鎖国令=17箇条)。このときまでの朱印船は三百数十隻にのぼり、海外渡航者は十万人ほどとなる。このころなお、銅生産力は世界一。/参勤交代はじまる。/柳川事件落着し、朝鮮向け称号が「大君」となる。朝鮮馬上才来日。

1636 この年のバタヴィアの人口、8058人、うち、東インド会社員1730人、オランダ市民638人、華僑2390人、日本人38人、会社所属農民1254人、奴隷1010人、解放奴隷649人、土着民304人。/日本は長崎に出島を作り、ポルトガル人を移動させる。ポルトガル人は長崎町役人25名に地代、家賃を支払う。同時にポルトガル人とその妻子合計287人をマカオに追放する(いわゆる第4回鎖国令=19箇条)。/日本に正式な朝鮮通信使来日(〜1811・9回)。/オランダから釣鐘灯籠1基贈られる(東照宮)。

1637 中国で、用水路灌漑への転換などの工学技術を書いた『天工開物』が刊行される。/鍋島藩は有田皿山を13カ所に設定し、生産業者を選んで150戸に制限し、免許制度とする。

1639 カレウタ船の渡航禁止(いわゆる第5回鎖国令)。/マニラで再び、スペイン人による中国人2万人の虐殺。日本、ポルトガル人の来航を禁止。一方幕府は対馬に対して、薬種、糸、端物の朝鮮からの調達を依頼。

1640 オランダから蓮灯籠1基、燭台12基贈られる(東照宮)。

1641 オランダ、マラッカを占領して中国人を招き、マラッカの中国人人口は18世紀なかばまでに、全体の5分の1となる。/新暦6月12日〜24日、オランダ商館の長崎移転作業。/鄭芝龍、ジャンク船1000艘を有し、中国からの商品移動を妨害。生糸・絹織物貿易市場が台湾からハノイ(トンキン)に移る。この年から54年まで、商館の利益の3分の一はトンキン生糸が占める。(1747年までの総計では、バタビア経由のベンガル生糸が70%を占める)

1643 朝鮮通信使、日光参廟。/オランダから回転灯籠贈られる(東照宮)。/有田南川原山の酒井田喜左衛門(柿右衛門)は、陶商、東島徳左衛門の協力によって中国色絵磁器の技術を導入。

1644 明、滅亡。/琉球使節日光参廟。/イギリスでJohn Miltonの意見新聞Areopagitica(アレオパジティカ)が発刊される。

1645 明が日本に援軍を求める。この後40年間に10あまりの要請が来るが、すべて断る。

1646 このころの長崎貿易の利益の46%はヴェトナム産生糸(東京および広南)の輸入による。しかしこの後、次第にベンガル生糸がヴェトナム生糸を圧倒。

1649 江戸初期、屎尿は水路を利用して運搬し川や堀に棄てられていたが、この年、かわや形式の雪隠のとりこわしが命じられた。

1652 オランダ領台湾で、重い人頭税に反対して中国人の反乱。/若衆歌舞伎禁止。

1653 有田窯数120戸。肥前磁器輸出のオランダ東インド会社記録初出。

1655 糸割符制度廃止。/オランダ、中国に入貢貿易を許される。/貝原益軒、調査旅行を開始。江戸町奉行、川への屎尿投棄禁止。ゴミはこのころまでは堀や川に捨てていたが、この年、永代浦(地下鉄門前仲町と木場の間の富岡八幡宮あたりの東寄り)への投棄がはじまる。

1656 清、海禁令。下水の上に家や雪隠を作ることの禁止され、農村に無償で引き取られることがはじまったか。

1657 明暦の大火。

1660 このころ、日本はまだおびただしい銀輸出(生糸の原価高騰にもかかわらず輸入量が落ちないため)。/ドイツで、世界最初の日刊紙Leipziger Zeitung(ライプツィガー・ツァイトゥング)が発刊される。

1661 鄭成功、台湾を占領。アモイをベースとして、5000隻の艦隊をかかえ、アモイと杭州に5軒ずつの問屋をもっていた。鄭成功、マニラに朝貢を求める。イギリスは鄭氏側、オランダは清側につく。

1662 鄭成功死去。/マニラのスペイン人は中国人の出国を禁止し、3000人を虐殺。/永代嶋埋め立てが行われ、深川の料理屋ができ、野菜が作られる。茶屋芥船(あくたぶね)による月3度のゴミ収集もはじまる

1664 出島商館から、伊万里焼4万5000個輸出。

1665 ゴミ溜めが長屋10軒か20軒に1箇所設定され、人足あるいは住民によってゴミ船に運び、町の船か雇い船で永代浦へ運ばれるようになる。

1666 イギリスはベンガルのダッカに東インド会社を作る。/京都で絵入り百科『人倫訓蒙図彙』発刊される。/柿右衛門の濁し手、赤絵の様式が確立。

1668 日本、銀輸出の禁止。/有田焼、国内で販売。

1669 漁猟権をめぐってアイヌ民族、シャクシャインの戦いに蜂起。

1670 このころまでに『水滸後伝』書かれる。/アムステルダムが金融市場となる。

1672 有田に赤絵町ができる。登録制度をとり、11戸。「色鍋島」を完成。

1673 中国で三藩(雲南、台湾と広東、福建)の乱。/市川団十郎、江戸荒事歌舞伎を開く。/日本では、この年の出版規制例によって、瓦版が継続して盛んであったことがわかる。/古伊万里、柿右衛門様式の全盛期。鍋島藩窯は、青磁、染付、色絵などの純日本風の様式を確立。

1674 阮氏ヴェトナム、クメール人のサイゴン進出。/このころから、芭蕉、活躍期。/鍋島藩窯、大川内山(おおかわちやま)窯ができる。

1678 坂田藤十郎、大坂に和事歌舞伎を確立。/このころから、江戸で赤本(絵本)流行。

1679 中国『芥子園画伝』

1680年代 ヨーロッパ各地で東洋磁器、とくに柿右衛門を蒐集する動き。イギリスでは、ハンプトン・コートに柿右衛門が保存される。

1682 日本『好色一代男』

1683 清軍、鄭一族を完全制圧。日本、珍獣、薬品以外の動植物の輸入禁止。

1684 イギリスが清と貿易開始。/中国の展界令で、伊万里の輸出がおちこみ国内市場が開発される。

1685 銀輸出をおさえるための長崎貿易制限令。

1688 日本に寄港する中国船のピーク。193隻を数え、長崎に降りた中国人は約9128人。

1688−1704の元禄年間 挿し絵から一枚絵の成立へ

1688−1716の元禄ー享保年間 丹絵(手彩色)が行われる

17C 西欧の木版画は銅版画にとってかわられる

1689 長崎唐人屋敷設立。

1690 植民地アメリカで発刊されたPublick Occurences Both Forreign and Domestickが創刊後、発行を禁じられる。

1692 稲生若水『炮炙全書』=日本産物の記述。このころから、国産へ向かって、本草学調査が盛んになり、都市では植物栽培が盛んとなる。

1694 イギリスで国による新聞の特許制度licensingと検閲制度censorshipが廃止される。

1695 西川如見『華夷通商考』二巻本刊行。

1696 宮崎安貞『農業全書』(日本初の農書)。

1699 オランダ、生糸の利益がなくなって北部ヴェトナムから撤退。

1700 イギリスのキャラコ禁止法

1703 近松『曾根崎心中』

1704 イギリスでDaniel Defoeの Reviewが発刊される。植民地アメリカで官許発行のBoston News Letterが発刊される。

1707 西川如見『華夷通商考』増補五巻本刊行。

1709 貝原益軒『大和本草』刊行。/ザクセンのシュタルケ王の命で磁器製作にかかっていたフリードリッヒ・ベトガーが、エルツ山脈で陶石を得て、白磁の焼成に成功。

1710 イギリスでJonathan Swiftが論説を執筆する。The Examinerが発刊される。/シュタルケ王はドレスデン郊外のマイセンのアルブレヒツブルグ城に窯を開き、白磁、色絵の開発を行う。

1711 このころから1736ぐらいまで、近郊農民にトイレの掃除代金(屎尿料)を支払うようになる。→屎尿料がどんどん高騰(需要が供給を上まわる)。

1713 新井白石『采覧異言』

1715 寺島良安『和漢三才図会』白石『西洋紀聞』

1716−44の享保ー寛保年間 紅絵が生まれ、淡い赤、小型本化する。同じころ、漆絵が行われる。

1720 イギリスのキャラコ禁止法。/このころマイセン窯で柿右衛門の模倣が完成。

1725 岡田白駒、白話小説講義。/この年から15年間がドイツ柿右衛門の最盛期。アンリ・ド・ブルボンによってフランスのシャンティーノ窯が開かれ、フランス柿右衛門が生まれる。

1728 朝鮮人参の国内生産はじまる。/岡島冠山、中国白話小説の翻訳本を刊行しはじめる。/ろうそく屋に生まれ、印刷屋の徒弟となったBenjamin Franklinは、イギリスで印刷技術をみがいた後、帰国してこの年、Pennsylvania Gazetteを発行。

1729 従四位広南象行列。『詠象詩』『象のみつぎ』『象誌』など刊行。/このころ、ヨーロッパで3色、4色重ね摺りが試される。

1730 このころまでは、対馬藩の白糸輸入が長崎貿易をしのぐ。

1730年代 このころ、バタヴィアには130の製糖工場と84の砂糖企業家がいたが、その中で79人は華僑だった。

1731 日本の絵画史に大きな影響を与えた沈南蘋来日。/イギリスで、議会報道の禁止に抵抗する雑誌Gentleman's Magagineが発刊される。

1734 幕府指導による諸国産物調査はじまる。産物記は現存170点。/ゼンガー事件。33年にNew York Weekly Journalを発刊したJohn Peter Zengerが、本国政府に不満を抱く住民の力を背景に、イギリス任命のコスビー総督を批判して投獄された事件。公判では、弁護士が陪審員に新聞の記述内容の真偽を判定させて無罪を勝ち取り、本国政府への批判の自由が獲得された。/このころから、日本では専門業者がゴミ収集を行うようになる。

1737〜90 和文訳『通俗忠義水滸伝』(岡島冠山)。中国白話小説の翻訳が盛んとなる。

1742 このころから、上方に読本さかんとなる。/のちに総督となるWilliam Bradfordのpennsylvania Journal

1744 このころから、江戸で黒本(絵本)流行。絵暦と役者絵で、紅摺絵(色摺り版画)はじまる。最初は紅と緑。/この年から1751年までにチェルシー、ボウ、ウースターの3窯が開かれ、イギリス柿右衛門が作られる。

1748 中国の絵画マニュアル『芥子園画伝』翻刻される。

1750 朝鮮への銀輸出禁止

1756 平賀源内、江戸へ出る。/フランスのセーブル窯が開かれ、リモージュにカリオンが発見され、中国、日本、マイセンを参考にフランス磁器が完成する。

1757 広州、海外貿易開港。珠江デルタは水田を桑畑にし、養蚕、綿織物に力を入れる。/イギリスがベンガル太守の財政収入を浸食したため、プラッシーの戦争が起きる。/伊藤若冲、活躍期。

1760〜 江戸の長崎屋経由で、ヨーロッパ情報、書籍が入る。/薬品会が盛んとなる。/メキシコ銀の輸入がはじまる。

1761 山東京伝(岩瀬醒)、江戸深川木場の質屋に生まれる。

1762 平賀源内、第五回東都薬品会(1300種)。翌年『物類品隲』刊。/イギリスでJohn Wilkes が、議会報道の禁止に抵抗する新聞North Britonを発行。

1763 平賀源内『根南志具佐』『風流志道軒伝』刊。本格的江戸文学のはじまり。

1764 曽我蕭白、活躍期。/このころまでには紅摺絵に藍、黄が加わる。

1765 大小絵暦会で錦絵(完全カラー浮世絵)が完成する。/オランダ経由でメキシコ銀の輸入。/京都で、円山応挙、蕪村、活躍期に入る。/イギリスで、植民地の新聞、暦、パンフレット、証書、公文書などの印刷物に貼付させる「印紙税法Stamp Act」が制定される。各植民地で反英運動と暴動が起こり、翌年3月に廃止される。この時、植民地代表としてイギリスで運動したのはBenjamin Franklin。

1767 イギリスがインドで徴税権を確保。江戸の大田南畝(19歳)、『寝惚先生文集』で評判となる。

1768 大坂で上田秋成『雨月物語』書かれる。

1769 狂歌の会が盛んとなる。

1770 平賀源内の、江戸ことばを生かした浄瑠璃『神霊矢口渡』初演される。

1771 イギリスで議会報道が自由化される。

1772 このころから咄本さかんとなる。

1773 蔦屋重三郎、新吉原大門口に書店を構え、鱗形屋の細見を売る。

1774 このころ大坂で、一般応募による雑俳と咄本さかんとなる。『解体新書』

1775 『金々先生栄華夢』(恋川春町)で黄表紙がはじまる。蔦屋重三郎、細見出版者となる。

1776 エレキテル(起電気)の完成。上田秋成『雨月物語』刊行。/アメリカ独立

1778 ロシア船、蝦夷地で通商を求める。

1779 平賀源内、獄中で死去。

1780 イギリスがペナンを領有。『解体新書』の解剖図版を描き、日本人による最初の本格的西欧絵画、秋田蘭画を確立した小田野直武、32歳で死去。

1781 蔦屋重三郎、歌麿を起用。

1782 『御存商売物』(山東京伝)で黄表紙がメディアを扱う。大田南畝が高く評価。このころから、山東京伝は狂歌連中と交わる。

1783 司馬江漢、日本で最初の銅版画を完成。宝合わせの会。蔦屋重三郎、日本橋に進出。京伝は「身軽折介」という狂名をもつ。江戸における落語の母胎、宝合わせの会はじまり、その記録『狂文宝合記』に政演挿し絵。

1784 京伝『たなぐひあはせ』の会を開催。錦絵『新美人合自筆鏡』。/蝦夷調査。/田沼意知暗殺される。/このころ、道路の小便溜め桶も160箇所ほど。

1785 『和唐珍解』(唐来参和)に両ルビが見られる。京伝黄表紙『江戸生艶気蒲焼』その他、洒落本『息子部屋』。

1786 狂歌絵本『吾妻曲狂歌文庫』刊行される。江戸落語の濫觴、烏亭焉馬の「咄の会」はじまる。田沼政権の崩壊。

1787 京伝洒落本『通言総籬』『古契三娼』。/松平定信、老中筆頭となる。

1788 歌麿と三〇人の狂歌師による狂歌絵本『画本虫撰』。/田沼意次死去。/朋誠堂喜三二、黄表紙『文武二道万石通』で、定信のとがめを受け、秋田藩より止筆を命じられる。

1789 この年、年号が「寛政」となる。/京伝、画工として加わった『黒白水鏡』で罰せられる。恋川春町、黄表紙『鸚鵡返文武二道』で定信にとがめられる。春町死去。

1790 京伝『傾城買四十八手』『小紋雅話』。/寛政異学の禁。混浴の禁止。/オランダ商館長江戸参府が五年に一回となる。

1791 京伝洒落本『娼妓絹麗』『錦之裏』『仕懸文庫』。この三部作で、蔦屋重三郎とともに処分を受け、蔦屋重三郎は身上半減、京伝は手鎖五〇日の刑。/アメリカにおいて言論出版の自由が保障される。/農民による屎尿価格値下げ運動。このころの屎尿契約は、掃除・屎尿の独占交換:江戸城(葛飾権四郎)、尾張藩上屋敷(中野の堀江家)、榊原屋敷(江古田の深野家)、彦根藩井伊家屋敷(大場家)

1792 林子平、処罰される。ラクスマン、幸太夫とともに根室に来る。/京伝の黄表紙は、赤本・黒本時代の内容に変わって行く。

1793 京伝、父と共に、煙草入れ店を開く。

1794 京伝、黄表紙多数。広告文集『ひろふ神』。/この年の風説書:プロシアとドイツの戦争が終結したこと。フランスで国王(ルイ16世)と王子が殺されたこと。周辺諸国が対仏戦争をしたこと。その結果バタビアが混雑したこと。その情報を伝えるためにありあわせの荷を積んでやってきた船であること。

1795 オランダが消滅し、バタビア共和国となる

1798 このときのオランダ商館長はゲイスベルト・ヘンミイ。江戸参府の帰りに掛川の宿で死体となって発見される。その前の晩、大量の書類を破る音を聞かれている。莫大な借金もしていた。死後、携帯していた手紙から密貿易が明らかになる。これは1795年〜97年に長崎目安方として赴任した近藤重蔵によってつきとめられたと言われている。

1799 オランダ東インド会社解散。ヘンドリック・ドゥーフ赴任。

18C 西欧では多色摺りが試みられるが、わずかしか生産できない。民衆版画は依然として手彩色。

1800 このころ、イギリスはインドでアヘンを生産して300トンを中国に輸出していた。1830年代末にはその量は8倍になる。このころ、白人が支配する都市は地球上の35%。/上田秋成『春雨物語』執筆。/北斎の狂歌絵本『東都名所一覧』。

1801 志築(しつき)忠雄、ケンペルの『日本誌』の一部を訳して「鎖国論」とする。「鎖国」という言葉のはじまり。

1802 十返舎一九『東海道中膝栗毛』刊行開始。

1803 ドゥーフ、長崎商館長となる。

1805 京伝読本『桜姫全伝曙草紙』。

1806 バタビア共和国なくなり、ナポレオン帝国に組み込まれる。

1809 京伝合巻『松梅竹取談』式亭三馬『浮世風呂』刊。/上田秋成死去。

1810 京伝滑稽本『腹筋逢夢石』『座敷藝忠臣蔵』

1814 馬琴『南総里見八犬伝』刊行開始。/『北斎漫画』刊行開始。

1815 イギリスがセイロンを領有。/ナポレオン、セントヘレナに流される。/ネーデルランド共和国できる

1816 京伝、死去。

1819 イギリスがシンガポールを領有

1820 このころから、イギリスの綿織物がインドに運びこまれる。

1823 シーボルト来日

1824 イギリスがオランダからマラッカを奪う。

1828 シーボルト事件

1830 オランダ独立

1833〜41 ニューヨークで1セントで買えるペニー・パイパー各紙が発刊される。The Sun, The New York Herald, The New York Tribuneなど。この後、各国で新聞の大衆化が起こり、新聞が企業化、産業化する。

1840 アヘン戦争

1845 最初のイギリス租界が上海にできる(中国が近代世界システムに組み入れられる)。

1855 安政大地震の瓦版が多数発行される。仮名垣魯文「安政見聞誌」

1858 ムガール帝国滅び、東インド会社解体され、イギリスによるインドの直接統治はじまる。

1861 日本で、英国人Hansardが長崎で週2回のNagasaki Shipping List and Advertiserを、横浜でThe Japan Heraldを発刊。居留地新聞の最初

1862 幕府が、Javasche Courantを翻訳した「官板バタビヤ新聞」を発行。これは「オランダ風説書」の展開。ワーグマンの「ジャパン・パンチ」。ヴェトナム南部にフランス領コーチシナ成立。

1863 The Japan Commercial News(居留地新聞)

1864 日系アメリカ人ジョセフ・ヒコによる「海外新聞」(翻訳)

1865 The Japan Times(居留地新聞)

1867 英国人Bailyの「万国新聞紙」「倫敦新聞紙」(居留地新聞)。最初の雑誌「西洋雑誌」(柳河春三)。

1868 新政府発行「太政官日誌」、柳河春三「中外新聞」、福地源一郎(桜痴)「江湖新聞」(政府攻撃により発行禁止)。「各国新聞紙」「横浜新報もしほ草」(居留地新聞)

1871 フランスで新聞における言論の自由が保障される。日本で「横浜毎日新聞」刊行される。最初の日刊紙。ここで、栗本鋤雲や仮名垣魯文が執筆。

1872 「東京日日新聞」「郵便報知新聞」(栗本鋤雲主幹)、最初の地方紙「峡中新聞(のちの山梨日日新聞」。英国人ブラックの「日新真事誌」。太陽暦採用。

1873 成島柳北(社長・執筆)「朝野新聞」

1874 「読売新聞」「明六雑誌」(森有礼、福沢諭吉)「絵新聞日本地」(仮名垣魯文、河鍋暁斎)。福地桜痴「東京日日新聞」社長となる。編集長兼記者に岸田吟香がいて、初めての従軍記者として「台湾通信」を執筆。

1875 日本で新聞紙条例。「平仮名絵入新聞」(東京日日の高畠藍泉、画家落合芳幾)、「仮名読新聞」(仮名垣魯文、河鍋暁斎)が発刊され、読売とともに「小新聞」の代表となる。「仮名読新聞」の雑報記事は挿し絵入りの小説らしいものに育ってゆく。「寄笑新聞」(橋爪錦造、月岡芳年)。

1876 「平仮名絵入新聞」の高畠が読売に移り、「平仮名絵入新聞」は「東京絵入新聞」となり、染崎延房(二世為永春水)が執筆となる。

1877 「団団(まるまる)珍聞」(野村文夫)、「魯文珍報」。1874年からこのころまでに新聞の読者は4倍になる。

1878 「東京絵入新聞」は事件を「金之助の話」という小説風の続きものにして載せた。新聞小説の定着。

1879 「大阪朝日新聞」発刊。大新聞と小新聞の併合。振り仮名付き活字を作って、庶民にわかりやすくし、貧民救援運動も展開。「仮名読新聞」は高橋お伝の事件を小説にして連載。魯文は「いろは新聞」編集長となる。

1880 朝日新聞から魁新聞が分かれる。ここに半井桃水が記者として入る。

1881 魁新聞が廃刊となり、桃水は88年まで釜山に行き、のちに東京朝日新聞で『胡砂吹く風』を連載。

1882 福沢諭吉「時事新報」

1886 イギリス、ビルマを併合。

1887 カンボジアを加え、フランス領インドシナ成立

1888 「東京朝日新聞」「大阪毎日新聞」発刊

1890年代 アメリカでイエロー・ジャーナリズムの発生。漫画「イエロー・キッド」をめぐる、ピュリツァーとハーストの販売合戦。

1898 フィリピン、アメリカ領となる。

1910 日韓併合。

1914 このころ、白人の支配する土地は地球上の84%

1918 ドイツで新聞における言論の自由が保障される。

1919 ガンジーと国民会議派による反英不服従運動はじまる。

1930 ヴェトナム共産党成立

1932 満州国成立

1940 日本軍フランス領インドシナに進駐

1941 ヴェトミン結成。日仏二重支配に抵抗。

1942 日本軍がマニラ、ラングーンを占領

1948 ビルマ独立

1954 フランス敗退し、ヴェトナム南北分裂。

1960 南ヴェトナム解放戦線結成。

1964 アメリカの北爆開始。

1975 サイゴン陥落。アメリカ敗退。

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