世界の織物の概観

 
紀元前4887+−96  浙江省からその時期の蚕紋骨器出土

紀元前2750+−100  浙江省からその時期の絹片、絹縄、絹帯出土

552   ローマから修道士が養蚕を学ぶためにアジアに派遣される。

7C   中国がヴェトナムから木綿の木を移入。

668   高句麗滅亡

10C   スペイン、アンダルシア地方に養蚕が伝わる。

11C   ビルマ、中国から蚕と絹の技術を導入。

12C   イタリア、ルッカで絹織物がはじまる。

13C   フランス、ドイツで絹織物がはじまる。カンボジア、中央タイ、中国から絹の技術を導入。

13〜17C  中国商人、木綿糸と木綿布を、ヴェトナム、ルソン、ジャワを含む東南アジア各地で購入。

1345   タイの年代記:王宮による豪華な送りものは、タイ糸をまじえない輸入絹。

1271  元朝成立。マルコ・ポーロ、ヴェネチア出発。このころには、木綿が江南にまで及んでいる。

1289  中国各地に木綿提挙司が設置され、中央に運ばれるようになる。

1292  マルコ・ポーロ、中国を去る

1298  マルコ・ポーロ『東方見聞録』成立。ジパング伝説の成立。

1313  中国、王禎『農書』に、木綿の栽培法・紡織法が記される。

1392  高麗の滅亡。李氏朝鮮の成立。

15C  ジェノヴァ、ベネチアで絹織物がはじまる。

1402  マラッカ王国成立。

1405  明の鄭和、1433年まで、7回の海外遠征。500トン、4層デッキの平底竜骨船で、チャンパ、パレンバン、マラッカ、サムドラへ寄港。

1414  マラッカ王、イスラムに改宗。島嶼部のイスラム化すすむ。

1471  ヴェトナムの黎朝、チャンパを滅ぼす。

1485  ヴェトナムはジャワ、シャム、マラッカ、ラオス、チャンパに朝貢を要求。生糸絹織物産業もはじまる。

1488−1511  マレーの年代記:マラッカのスルタン、マームッドが南インドに使いを送って、四十種類の希少な衣類を手に入れさせた。

1492  コロンブス、ジパングをめざして出発。イスパニョーラ島に着く。グラナダ陥落。イベリア半島からイスラム教徒撤退。

16C  東ジャワ、バリ、スムバワの作る美しい色彩は、周辺に輸出されていた。フィレンツェが絹織物の中心になる。

1510  朝鮮半島在住日本人による三浦の乱。ポルトガル人、ゴア占領。マラッカには、年に大船15隻が、グジャラート、コロマンデル、ベンガルから来ていた。またマラッカから、ペグー、テナセリム、パサイ、中国、琉球に再輸出されていた。

1511  ポルトガル副王ダルブケルケ、グジャラート商人と対立する華僑を味方につけてマラッカを征服。

1521  ポルトガル人、広州での貿易を禁止され、海賊化しはじめる。同時に、モルッカ諸島、ジャカルタに力を入れ、ジャワ海の航行権を確保。

1536  リヨンの絹織物が本格化する。

1548  ペルー、ポトシ銀山開発。

1546〜48  メキシコのサカテカス、グナファト銀山発見。

1560〜  ペルーとメキシコで、インディオの強制労働、水銀アマルガム法によって、世界総産銀の80%を生産しはじめる。年間45万キログラム。60〜100隻のガレオン船が就航。

1565  スペイン人、フィリピン征服。

1567  スペイン人、カガヤンで日本船と交戦。中国、海禁撤廃。中国人、マニラ進出。当初は150人ほど。/ 後期倭寇、ほぼ終結。/ アモイを中心に、福建人、広東人、ポルトガル人、日本人が取引。アモイでは、江南産の生糸・絹織物の他、四川・山西の生糸でアモイで倭緞(日本様式絹織物)を作って輸出。胡椒、砂糖も取引。

1570  マカオにアルマサン(対日生糸貿易組合)ができる

1571  スペイン、マニラを占領して開港。年1〜2隻のガレオン船がアカプルコとの間を往復しはじめる。新大陸からの銀は年間20万キロ。

1573  マニラから、絹の反物712匹、23000個の陶磁器等々が、アカプルコに運ばれる。泉州、アモイから、200トンのジャンク船が年に20〜30隻マニラに行き、マニラの華僑人口は、2〜30年で3万人となる。
1580  年間30〜40隻のジャンク船がマニラ就航。

1595  5000人の華僑がマニラから追放される。

16〜17Cごろまでには  綿花は東南アジアじゅうで栽培されていた。東ジャワ、バリ、スムバワ、ブトン、南スラウェシの東南端も含む。

17C  コルベールによってフランス絹織物が活性化する。/ ベトナムは、絹の技術が中国・日本と同じくらい発達しており、輸出していた。とくに、生糸は1617年の日本の禁止令が出るまで、日本に大量に輸出されていた。/ インドネシアの木綿の生育と織りとは、南スラウェシ本島地域近辺で集中して行われていた。このあたりの男たちは船大工になり、女たちは機織りをした。1669年、オランダ人によってマカッサルが陥落すると、ブギス人商人が木綿交易を掌握するようになり、マレー世界全体の島々にそれを持って行った。

1602  中国でマテオ・リッチ地図完成。/ バンテン沖で、オランダ艦船がポルトガル艦船を破る。/ アムステルダムにオランダ東インド会社できる。

1603  マニラで、中国人・黄江、華僑の組織化をはかったため、華僑2万人がスペイン人によって虐殺される。日本人400人はスペイン側につく。オランダ東インド会社、バンテン、グレシク、ジョホール、パタニ、マカッサル、ジャパラに商館を設ける。

1610  オランダ、現ジャカルタにバタヴィア城建設。

1614  イギリスがウールの輸出をはじめる。

1619  VOC、コロマンデルで、銀換算3トンの布を買いつける。このころ、東南アジア向けは全体の3分の2。/ このころ、福建の製糖業がジャワに移される。/ 広東では、マニラと日本向けの養蚕、製糸、粤緞、粤紗が生産される。

 

1620  この年から1655年までが、インド布東南アジア交易のピークで、年に銀40トン分、150万枚が動いた。/ ライデンで織物生産がはじまる。

1621  VOC、コロマンデルで、銀換算5トンの布を買いつける。

1623 VOC、コロマンデルで、銀換算7トンの布を買いつける。
1628  この年から1697年まで、南米の銀生産は毎年0、3%ずつ落ち込んだ。

1630〜40  布の積荷のインド船が、アチェーに、年に3隻ぐらいしか来なくなった。オランダにとってかわられつつあった。

1635  日本の渡航禁止令で日本−中国の直接貿易と、オランダ仲介貿易に集中することになり、また中国が政治的危機で購買力が減少し、東南アジアは経済的打撃を受ける。その後の東南アジア経済を支えたのはヨーロッパ。

1639  マニラで再び、スペイン人による中国人2万人の虐殺。

1640  VOC、コロマンデルで、銀換算8トンの布を買いつける。

1641  オランダ、マラッカを占領して中国人を招き、マラッカの中国人人口は18世紀なかばまでに、全体の5分の1となる。

1651〜55  VOC、コロマンデルで、銀換算14、9トンの布を買いつける。このころ、東南アジア向けは3分の1に落ちている。

1652  VOCだけで、100万枚のインド布がバダヴィアに持ち込まれた。そのうち、三分の一がインドネシアのマーケットに流れた。

1653  東南アジアでは庶民まですべて、裸体を隠すようになる。

1655  オランダ、中国に入貢貿易を許される。

1662  鄭成功死去。マニラのスペイン人は中国人の出国を禁止し、3000人を虐殺。

1666〜70  VOC、コロマンデルで、銀換算19、8トンの布を買いつける。

1671〜75  VOC、コロマンデルで、銀換算14、5トンの布を買いつける。

1675  オランダ東インド会社のコロマンデルでの輸出収益は10〜12百万ギルダーにのぼった。これは100〜120トンの銀に相当するもので、そのほとんどが布であった。市場は1650年までが東南アジアで、その後はヨーロッパが多くなる。

 

1684  清、展界令。イギリス、清と貿易開始。

1687〜89  VOC、コロマンデルで、銀換算7、6トンの布を買いつける。このころ、東南アジア向けは15%ほどまで落ちている。

1699  オランダ、生糸の利益がなくなって北部ヴェトナムから撤退。
18C  中央ビルマは木綿を大量に生産。イラワディ経由で、サガインの中央マーケットで売られ、雲南その他の中国各地に入る。/ 18C前半まで、パサイ(スマトラ北部)では、スマトラ、インドに供給する絹(自生の黄シルク)を生産していた。その後、中国の絹生産がのびると、米や胡椒にとってかわった。/ いっぽう南スラウェシの、ワジョーのブギスでは同様の種類の絹の生産が近代まで続けられている。その記録は1540年のものにも見える。

1757  広州、海外貿易開港。珠江デルタは水田を桑畑にし、養蚕、綿織物に力を入れる。

1799  オランダ東インド会社解散。

1820  このころから53年まで、フランスでは養蚕の最盛期を迎える。

1853  このころから10年間、フランスを中心にヨーロッパ全土で微粒子病(ノゼマ)のため、繭の生産が五分の一に落ち込む。

1858  ムガール帝国滅び、東インド会社解体され、イギリスによるインドの直接統治はじまる。

1862  ヴェトナム南部にフランス領コーチシナ成立

1870  イタリアの養蚕がもちなおす

1886  イギリス、ビルマを併合

1887  カンボジアを加え、フランス領インドシナ成立

1910  日韓併合

1919  ガンディーと国民会議派による反英不服従運動はじまる。

織物年表注意事項

多摩の織物年表

日本の織物年表

総合年表

参考文献紹介

A comparative study of textile production and trading from the beginning of the 16th century to the end of the 19th century

「コミュニケーションの歴史」ガイドへ戻る

表紙へ戻る